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10機目「独立国家のつくりかた」

「独立国家のつくりかた」(坂口恭平 講談社現代新書)

いま読んでも、熱くなる1冊。
世の中の見え方が変わる。

中学生くらいに読んでほしいけど、表現方法がちょっと難しいかもしれないので、わかりやすく説明できるようになりたい。

この本の中で例えられているのは、「学校社会」と「放課後社会」というふたつの世界(レイヤー)

学校社会の中での評価基準は「勉強ができる」が最高で、「スポーツができる」だったり「音楽ができる」という評価ポイントがある。それは学校の先生によって測られる。

放課後社会は、もっと自由だ。人が2人以上集まったら、そこに放課後社会が形成され、そこには独自の価値観がある。

この本の中には放課後の土井くんという工作のものすごい得意な子が出てきて、それは放課後社会で著者の圧倒的リスペクトを受けていた。しかし彼の学校社会での評価はあまり高くはなかった。

坂口さんは言う。「放課後社会」は無数にあり、しかもそれは匿名化されていないリアルな世界だ。

そうか。

世の中はホントにドラクエのようになっているとすると、天空の城に行くように、あるいは裏の世界に行くように、価値観や慣習の異なる世界へ行く、というのは、「精神的には可能」だ。

そして、その世界を認めあうことが「価値観の多様化」ではないか。さらに、その世界を行き来できることがまさに自由なのではないか。

学校社会という世界は単一の価値観に支配されていて。そして他者評価を前提に作り上げられた匿名性の高いシステムだ。そこの個人の価値観を発現させることは難しい。

経済社会も同じだ。

経済社会の枠組みの中で言う「価値観の多様化」は、神奈川に住むか、千葉に住むか、みたいな違いでしかない。

縦のラインを行き来する。

たとえば、登山家たちは、それぞれ個人をリスペクトしあい、ひとりの人間として自然と対峙する。

そのような行き来できる「世界」をどのくらい持っているか?そしてその世界にいったときは経済社会の価値観を超えていけるか?これがこれからの生きる力となっていく。

「学校社会」「経済社会」だけが社会ではない。
地域に無数の「放課後社会」が広がっている。

そしてそれを「行き来」できること。それが大切だ。

「価値観」は「多様化」しているのではなく、そもそも「価値」そのものは流動しているのだから、無数の「放課後社会」の「価値」を感じ、共感し、行き来できることはすごく大切なのだろうと思う。

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