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「個人(の在り方、存在)」と「(組織の)ビジョン」の関係

島根大学 社会教育主事講習 社会教育経営論第4回。今回からビジョンとロジックモデルについていきなり「ビジョン」でモヤモヤする人多いな、と。さすが社会教育を志す人たちだなと。

目的・目標に対する違和感。それって大切なことだろうと思う。

ひとまず岩本悠さんの講義からメモ
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地域の課題:既存産業衰退、若者流出、後継者不足、公共依存
(少子高齢化、文化・行事の衰退、財政難)
地域の向かう指針:産業創出、若者定住、継承者育成、自立協働
★求められている人材:地域で継業、生業、事業、産業を創る人材
〈起業家精神×グローカルマインド〉
「仕事がないから帰れない」⇒「仕事をつくりに帰りたい」
20世紀のふるさと観「志を果たして帰る」⇒21世紀のふるさと観「志を果たしに還る」

グローカル・地域起業家型人財の育成:
地域全体が「学校」外部人材も「先生」地域資源・課題も絶好の「教材」

理念:真理、理想、進取
目標:1学年2学級復活
要旨:1 魅力的なカリキュラム編成:地域創造コース創設
   2 教員数の確保:教員の加配
   3 学力向上とキャリア教育:コーディネーター活用
   4 部活動の魅力化:外部指導者の活用を含め検討
   5 交流の促進:島外からの留学生受け入れ

5年後のビジョン見直し:形骸化しないように
プロローグ:成り行きの未来⇒意志ある未来がない場合の最悪のシナリオ
      島だけじゃなく、全国から希望が失われた
エピローグ:約束の未来:2035年 創立80周年の約束の未来
      約束を果たすためにみんなが駆けつける

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これを受けてのグループワーク。
そもそもビジョンは何のためにあるのか?から始まっていた。

隠岐島前高校の「成り行きの未来」のように、「物語」でビジョンを共有することは、多様なステークホルダーが関係するプロジェクトにおいて有効なのだろうと思った。

一方で明確なビジョンが決まることで、思考停止に陥らないか?という懸念も生じた。

僕は組織(チーム)の規模にも関係があると思ったし、ビジョン(目指すもの)とコンセプト(大切にしたいもの)にも関係してくると思った。

小さなチームは、コンセプト共有がしやすいし、目の前の顧客に対して柔軟に対応できる。そういうチームにとっては「明確な(確固たる)ビジョン」がそんなに必要なく、方向性の共有くらいでいいのだと思う。

ところがこれが、たとえば「高校魅力化プロジェクト」のような、行政、高校、県教委、産業界、地元住民など、多様なニーズを持つ多数のステークホルダーと一緒に(より速く)プロジェクトを進めていこうとすると、どうしても「ビジョン(何年後にこうなっていたい)」という「推進力」が必要となる。

ただ、ここでひとつの問題がある。「個人(の在り方、存在)」と「ビジョン」の関係である。

明確な(確固たる)ビジョンに対して、個人が手段化されてしまう、つまり自分じゃなくても、役割を果たせれば誰でもいい、ということになってしまうのではないか、ということだ。

これを防ぐにはどうしたらいいのか。ひとつの仮説は、組織全体としては、ビジョンを描くが(それも厳密な数値化というよりは「成り行きの未来・約束の未来」的なベクトル感を共有するもの)、実際に動かす5名などの(担当プロジェクト)チームにおいては、コンセプト(大切にしたいもの)を共有しつつ、ビジョンをもう少しかみ砕いて、5人にとってのビジョンを言語化し、そのビジョンを修正し続ける、みたいなことをやっていく必要があるのかもしれないと思った。

「個人(の在り方、存在)」と「(組織の)ビジョン」の関係はフラットでありたいなと思ったのが僕の感想です。

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