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11機目「孤独と不安のレッスン」

「孤独と不安のレッスン」 (鴻上尚史 だいわ文庫)

この「息苦しさ」というか「生きづらさ」ってなんなんだろう?って感じていたら、まずはこの本からいかがでしょうか?というような1冊。

「第6章 それでも「一人はみじめ」と思ってしまう理由」
ここだけでも読んでほしい。

「友達100人至上主義の果て」から始まって、一番うなるのが「世間」という名前の神様のところかな。

キリスト教徒にとってキリストは、唯一絶対の神です。物事の判断基準は神に背いていないか?です。

では日本人はそういう神を持っていないのか?

似たようなものを持っていると著者は言います。それは「世間」です。世間体、世間様なんて呼ばれたりする。

その実体は江戸時代に強く作られた「村落共同体」です。農作業は共同作業だから誰かひとりがサボることが許されません。僕たち日本人は共同体が神だったのです。

農民だけではありません。武家社会も、商人の世界も、世間を神として生きてきたのです。

それは明治時代以降、徐々に壊れていきます。国家を強くするために、強すぎる村落共同体を弱くする必要があったのです。

そしていま、僕たちは中途半端に壊れた共同体社会を生きています。強引に縛る村落共同体はもうありません。でも、完全にはなくなっていない。

なるほど。

この中途半端さが孤独の苦しさの原因なのではないか?と鴻上さんは言います。

なるほど。
たしかに。
これはその通りかもしれないなあ、と。

中学・高校・大学では、共同体として先輩は絶対で、先輩に逆らってはいけない、と分かっていながら、心の奥では、「1年はやく生まれてくらいで、なんで従わなきゃいけないんだ」なんて思っていたりする。

世間は、中途半端に壊れている。
この自覚、必要ですよね。

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