私達が福島で学んだこと
修学旅行(福島県)
私達は、12月5日から8日までの4日間修学旅行へ行きました。
12月6日、私達は「Linkる大熊」にて、2011年に福島で起こった3.11(東日本大震災)のことについてたくさんのお話をお聞きしました。
「3.11を語る会」の方からの震災当日や、震災後のお話、「東京電力」の方からの原発のお話などをお聞きしました。 震災当日、福島県大熊町には福島県で最も高い21mの津波が押し寄せて来たそうです。 地域の方たちは、参拝すると子供が安全に産まれてくると言われる神社のある丘の上に避難していたそうです。地元の住民が必死になって避難している中、自分は避難せずに地元の方のため、必死に避難誘導をしている方もいました。その中で私達がお話を聞いた方は警察官2人です。その方たちは、地元の方の身の安全を守るために一生懸命に避難誘導を行っていました。避難誘導を行っている間、まだ津波は来ていません。そのため、自分たちは住民を避難させてから、地元にある高さの高い橋を通ってパトカーで逃げようと考えていました。 しかし、住民を避難させてからパトカーでその橋を通ろうとしましたが、地面は地震のせいで地割れが起こって、 隆起と沈降で道がぐにゃぐにゃになっていました。橋を通ってパトカーで必死に逃げようとしているとき、津波が二人の警察官を乗せたパトカーを襲って2人の警察官は亡くなってしまいました。津波が引いてその橋を見に行くと、そこには形がほぼないパトカーが発見されました。住民のために最後まで一生懸命に行動してくれた2人の警察官を悼もうと、そのパトカーは近くの公園にしばらくの間そのまま残されたそうです。その公園にはたくさんの住民の方がお花などをお供えに来ました。 2人の警察官のうち、1人は発見されましたが、20代の新人警察官は未だに発見されていません。
お話をお聞きした後には、被災地を車窓見学しながら浪江町東日本大震災慰霊碑のある丘へと向かいました。
見学している途中には、請戸小学校もありました。この請戸小学校は大きな被害を受けましたが、全員が無事避難することができた奇跡の学校としても知られています。 浪江町東日本大震災慰霊碑に到着してからは3.11の津波が引いてから救助活動を行った消防団の方のお話をお聞きしました。消防団の方は、津波が引いてからすぐに被災した場所へと向かい、人命救助をしていました。しかし、原子力発電所の放射線が放射されたために、人命救助を中断せざるを得ませんでした。「中断をしてください。」と言われたとき、「瓦礫の中からはまだ人の声が聞こえる。」といっている消防団の方もいたそうです。その後、放射線の影響によって救助は震災が起こってから約1ヶ月後にしか再開されませんでした。1ヶ月前に声が聞こえたといっていた場所では、何人もの方が見つかったそうです。消防団の方にお話を聞くと、「あのとき救助を中断せずに、救助を続ければよかった」と話す人が多いそうです。 今回3.11のお話をたくさんお聞きして、自然災害がどれだけ怖いものかを知ることが出来ました。また、原発は敦賀にもあります。原子力発電所がどんなものかを知ることが出来ました。
投稿者:2年 下出 帆希(武生第二中出身)
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