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野衾(のぶすま)

ムササビとモモンガはよく似た実在の動物であるが、古くは妖怪の一種とも思われていた。
この二種は、今では別種の動物とされているが漢字表記の「鼯鼠」がムササビと同時にモモンガにも用いられるなど両者は古くから混同されてきた様だ。そして妖怪の世界でもこの二種の関係は複雑である。
鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』には野衾という妖怪が紹介されているが、その解説文にはムササビの事であると書かれている。

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「野衾」
「野衾は鼯(ムササビ)の事なり。蝙蝠に似て毛生ひて翅も即肉なり。四つの足あれども短く爪長くして、木の実をも喰らひ又火焔をもくへり。」

以前紹介した『今昔画図続百鬼』にある百々爺は肉食の隠喩であったが、その解説文では別名に野衾が挙げられて、百々爺(ももんじい)とはお化けの幼児語である「ももんがあ」と元興寺(がごじ、がごぜ)の合成語だとされている。

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「百々爺」
「百々爺未詳 愚按ずるに、山東にももんがと称するもの、一名野衾ともいふとぞ 京師の人小児を怖しめて啼を止むるに元興寺といふ もゝんぐはとがごしとふたつのものを合せて、もゝんぢいというや(後略)」

更に野衾は、歳を経た蝙蝠の化けた妖怪とあるが桃山人の『絵本百物語』によれば、この野衾が歳を経ると山地乳(やまちち)になるという。

竹原春泉画『絵本百物語』より「山地乳」

つまり野衾はムササビの事であり、かつモモンガと元興寺の合わさった百々爺であり、歳を経れば山地乳になるという事だ。
実在のモモンガも、人に持つ灯りを目当てに顔に覆い被さる時もあったらしい。暗闇でその様な目に遭えば、化け物の仕業と思うのも無理はない。
ももんがあとは、着物の袖を持ちあげ襟に頭を沈めモモンガの姿の様に脅かす時の掛け声でもある。
実際に、ももんがあは化け物の総称に用いられていた様で、江戸時代の妖怪カルタには様々な妖怪がももんがあとして紹介されている。

一橋齋艶長「二階から出るももんがあ」
一橋齋艶長「ももんじいが現れる」
芳盛『しん板化物尽し』「ももんがあ」

その一つに「二階から出るももんがあ」という札があるが、「二階」とは遊郭の隠語で、「ももんがあ」とは毛深い遊女を指す隠語でもあった様だ。そうすると遊女の妖怪である毛倡妓(けじょうろう)との関係も気になる所だが、無理矢理に絡ませるなら、同じ『今昔画図続百鬼』に毛倡妓に並んで登場する青女房と、様々な化け物が登場するであろう百物語の最後に現れるという青行燈を、化け物の総称であるももんがあとを同一視する事も考えられるが、それは流石に無理が過ぎる気もする。

ムササビ(モモンガ)は、古来から日本人に親しまれた動物であった様で万葉集にも何首かの歌が残されている。

「三国山木末に住まふむささびの鳥待つごとく我れ待ち痩せむ」(第7巻 1367番歌)

ムササビという名前にはその身の軽さからか「身(む)細(ささ)び」という語源があるらしい。
つまりこの歌は「痩せる」と「身細び」を掛けて「(あなたを)待つ間に、鳥を待つムササビの様に痩せてしまうのでしょうか」という意味だろう。

さてムササビは(もちろんモモンガも)実は鳥は食べない。ここで冒頭の鳥山石燕による野衾の絵を見ると正に鳥を襲っている様子が描かれている。

つまり鳥を食べるのは妖怪と化した野衾だ。そして野衾の別名とされた百々爺は肉食の象徴であった。

「三国山木末に住まふむささびの鳥待つごとく我れ待ち痩せむ」(第7巻 1367番歌)

それでは、「待ち続けて」、ムササビ=野衾が鳥を捉える為に待つ様に、「身細み」になった彼女は、実は何の為に「あなた」を待ち続けていたのだろうか。(了)

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