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“コロナの時代”のプラムツリー。「三密」を避けつつも「密」の価値を維持していくために。

こんにちは、「三密」という言葉がパッと生まれたら思ったら、もうどこでもそれを聞くようになり、三密を回避せよという空気が当たり前になった今を生きてる同時代のあなた、お元気ですか??
ハンドメイド変態ツルカワは、ギャラリーの持続化給付金の申請などしながら、あの企画は延期、この企画はどうしようか相談、など、けっこう慌ただしく生きています。故に元気です。

とはいえ、「新しい生活様式」というものも発表されましたね。緊急事態宣言の延長とともに。あれ、結構ツルカワには堪えました。落ち込みましたね、やり場のない怒りともに。

なぜなら、「密」を避けて生きよ、と提言されても、それはツルカワには死刑宣告も同じですから。運営している「ちいさな雑貨ギャラリープラムツリー」という場は、その名の通りちいさく、人も入ればみっちみち、作品もみっちみちになってしまいますが、それをよしとし、いわば「密」を売りとしている空間ですから。その価値が全面否定されてしまったいま、どうしろというのか。ギャラリーを閉めるしか無いのか。途方に暮れました。

でもいまは、ギャラリーを閉めるという選択肢はどうしてもしたくないので、「三密」を避けつつ「密」の価値を維持するという、端から見たら矛盾してるようにしかみえない未来の実現に向け、あれやこれや頭をひねる日々です。

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密に作品により沿い、密に空間とよりそい、密にひととよりそい、表現への喜びを共有する。今までのプラムツリーはそういう場でした。そしていまは、その価値をなるべく変えること無く、ですが、この「コロナの時代」にもよりそわなければいけません。それが現実です。

どうすべきか。うんうんと頭をひねっていますが、確実なのはプラムツリーのよしとする密のひとつ「ひと同士の密」…つまりお客さま同士や、作家さん同士の密、は、ほんとうに悔しいことですが、なるべくないように廃していかねばならぬということです。

きっとこれからは、どんな企画であれ、入場制限や予約制・または通販が中心のweb開催を余儀なくされることでしょう。作品とは密に、空間とは密に、けど「他のひととの密」は避ける。本当につらいですが「密」の価値を維持するにはそれしかありません。

ですが、それで「ひと」同士の密、つまり関わりが絶えてしまうわけではありません。たしかに「プラムツリー」という場での関わりは絶えるかも知れません。ですが、作品を通したかかわりは、お客さま・作家さまにその後、おまかせするかたちで作ってもらえばいいのです。それは、オンラインが主流になるかもしれませんが、そこも、おまかせ。
プラムツリーはそのかかわりを作る「きっかけ」の場としてあり続ければ良いのです。そうやっていければ、「ちいさな雑貨ギャラリープラムツリー」という場は、かたちは多少違ってきますが、引き続き、表現の場・表現の共有の場としてあり続けることができる。いまはそう考えています。

そのためには、さりげないことですが、作家さんの作品に添えてお客さまが持ち帰れるように置くショップカードや名刺を切らさないようにする、メッセージカードも必ず置く、通販の機会も多く設けるなどして、プラムツリーという場のあとに存在してほしい「つながりの要素」を今まで以上に留意して設置する事が重要になっていくでしょう。会えないけれど、見えないけれど、伝え合おう。よろこびや感謝の気持ちを。そのきっかけの舞台装置としてプラムツリーはこれからもあり続けます。あり続けようともがきます。

ちょっぴりさみしいけれど、そうやって、コロナの時代に共存していく覚悟です。みなさん、がんばりましょう。ふんばりましょう。どうそこれからもよろしくお願いします!

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。