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【麻雀短編小説】霞がかった景色

牌をラシャに打ち付ける小さな音が、小気味よく響きわたる。染み付いた煙草の匂いと、ほんの少しすえたような匂いが鼻につく。

「ポン」

しゃがれた声で対面の男が鳴いた。
吐き出された紫煙が、卓を照らす灯りへ向かって昇ってゆく。

2索を鳴いた男は手牌から1索を切り出した。
5順目まで萬子・筒子の中張牌をバラ切り、字牌は1枚も切られていない。見るからに索子の一色手の気配。
索子の混一色、対々和に役牌やドラ、赤が絡めば跳満までありそうだ。

オーラス、ドラが3索。俺が南家でトップ目。対面の2着とは11600点差。供託が1本、本場は無く、満貫直撃、跳満和了が対面の条件だ。
この場面で、まさか2着確定の和了を狙っているとは思えない。今ここで行われているのは、競技麻雀なんかじゃない、純粋な博打としての麻雀。2着にはなんの意味もない。対面の男は間違いなく跳満の手に仕上げてくるだろう。

山から牌をツモる。自然と力が入った指先から、縦筋の感覚が伝わる。

最悪のツモだ。この局面で聴牌が入っただけでも僥倖と言えたのに、ここに来ての赤5索ツモ。
みすみす対面に跳満の大事なタネを献上してやる必要が一体どこにある?
かと言って、ここで聴牌を崩して、対面に跳満をツモられでもしたら、それでゲームオーバー。
この赤5索も全く関係なく、対々三暗刻なんて和了された時には、悔やんでも悔やみ切れないだろう。
いや、対面が清一色だとしたらどうだろうか?
字牌の切り出しが遅いのは重なり期待と安全牌で、最終形は清一色だとしたら.......この5索も今なら通るかも知れない。
かもしれない、かもしれない、が止まらない。
いくら考えたって、麻雀に正解なんてものは無い。
そんなことは分かってる、嫌という程に分かり切っている。
それでも、考えずにはいられない。
俺は麻雀のそんな所に魅了されて、この場所まで足を踏み込んでしまったんだから。

麻雀に初めて触れたのは大学生の時だった。
大学近くの雀荘に連れて行かれ、ルールもよく分からないまま打たされて、小銭を賭けさせられ、挙句負けた。
思い返せば最悪の麻雀デビューだったが、不思議なことに俺はまたやりたいと思った。
まだ20になったばかりで、雀荘という大人の世界に踏み出した高揚感なのか、麻雀というゲーム自体に魅力を見出したのか、この時の俺はまだ分からなかったが、それでもとりあえず麻雀を打つことは続けた。
次第にルールと点数計算を覚えて、牌効率や押し引きを理解し、その間に煙草を覚えて、1年経った頃には仲間内の中でも1、2を争う腕まで上達した。
ただ、俺の中では何か満たされないような――そんな違和感のようなものが、次第に心の底に溜まり続けた。

この局面で脳裏を掠めた懐かしい思い出に、思わず口角が上がる。
長考の末、俺は手牌から1索を切り出した。
そうだ、麻雀ってもっと楽しいゲームだったんだ。
あのころの俺にとっては。
こんな局面も、今までの麻雀人生の中で幾度となくあった。その度にたった一牌の打牌に一喜一憂し、失敗と成功を積み重ね、次の選択の糧にしてきた。
このゲームに正解は無いが、成功はある。
その確率を1/5から1/4、そして1/3、その先へと、限りなく1へと近づけていく事こそがこのゲームにおける研鑽であり、その選択を積み重ねた者が強者となる。
1万円やそこらの端金がとてつもない大金だった時も、一牌の後先が自分の命運を握る今も、それは変わらない。
そんな事は、頭の中で理解している。
ただ、心がそうと認めない瞬間は、麻雀をやっていれば必ず訪れる。

結局麻雀に溺れた俺は、他の愚かな先人達と同じく留年をして、またそうして出来た学生時代を麻雀に当てた。
友人は何人か卒業し、仲間内で卓を囲む機会は減った。
俺はフリー雀荘に足繁く通うようになった。
大学近くの行きつけの雀荘はピンの1-3。友人達と囲むレートの倍はあったが、それでも俺は負けなかった。
腕が立つとなればと目を付けられ、常連のじいさん達とセットをやる時もあった。レートはさらに倍となったが、そんなことは関係無かった。
この頃は、麻雀だけで月10万以上の収入があった。
俺の中でずっと満たされていなかったあの感覚が、次第に薄れていくのが分かった。
無意識のうちに、自分がどうしようもないほどの博打を望んでいることを、俺はこの頃ようやく理解した。
それも、パチンコや競馬なんかでは満たされない、己の技術と、運と、センス――ありとらゆるモノを燃やして、その灰の中を掻き分けて掴む勝利こそが、俺の求めるものだと気が付いた。
ある時、常連客のじいさんが、俺をマンション麻雀に誘ってきた。
レートを俺が尋ねると、じいさんは指を2つ立てて見せた。

1萬を手から切り出す。
これで、とりあえず断幺九の出上がりが利く形になった。
ただ、脇から零れてくるのは期待出来ないだろう。
そもそも、このゲームは俺と対面の男の一騎打ちであり、それは脇の2人も理解している。下手な差込みとも取られかねない打牌は、自らの寿命を縮める真似だと解っている。
今夜は特別なのだ。俺と、対面の男の雌雄を決する場であり、そこに水を差す真似は間違っても出来ない。それを理解できる人間を用意したのだから、ここはツモ和了しかない。
こんな事になるなら、幾らか包んで握らせておくべきだったか。
無粋な考えが過る。
そうじゃないだろう、俺が求めていたのは。
俺がやりたかったのは、今まさにこの卓の上で起きていること、その全てだ。
この卓上の駆け引きが全てで、その綾を乱そうとするモノの全てが余計なんだ。
それ以外なんていらない。
この闘牌の先の霞を払いのけて、その景色を見渡す。
そうして俺はまた一つ、高みへと登る。

じいさんに連れてこられたマンション麻雀は、今までのフリーと比べれば幾らかレベルが高かったが、それも微かに肌で感じる事が出来る程度で、俺はまた新たな猟場での博打に無心した。
月50万以上を安定して稼ぎ出した頃、俺は残された半期ばかりの大学に退学届けを突き付け、可能な限り全ての時間を麻雀に当てた。
どうせまた留年だったんだから、大卒なんて肩書きの為に高い学費を払うのも馬鹿らしい。
それよりも俺は、もっと深く、底の底まで麻雀を突き詰めることに時間を割きたかった。
バイトはとうにやめた。麻雀で得た金で生活が回り出した。
マンションからの帰り道、日の出と共に会社へと向かうサラリーマンを尻目に、俺はなんて哀れな生き物なんだと少しの同情をした。
マンションなら、たった一晩で給料3ヶ月分を稼ぐ事もある。
それを朝から晩まで必死に働き、家賃やら税金やらを払ってやっと残るのは20万かそこらの端金である。
哀れみを向けずにはいられないだろう。
ただ、俺は同時に、自分が救いのある人間だとは到底思えなかったし、きっと彼らの方が正しい人間なんだと理解していた。
麻雀を覚えてから、7度目の春を迎えていた。

既に13巡目、終盤に差し掛かったところで初牌の6索。
河を見渡す。字牌は全て2枚以上見える。そうなるともう、対面に残された逆転の一手は索子の清一色しかない。
降りるのは簡単だ。ただ、残されたツモは少ないものの、ここで降りれば対面は間違いなく跳満を和了する――そう直感した。

混一色対々和での跳満が無くなった以上、索子の多面待ちになるだろう。索子で通っているのは1索だけだ。
ドラが3索なだけに、1枚でも絡めば跳満ツモ条件を満たしてしまう。
手牌の索子は全てが危険牌。しかし、索子を切らなければこの手の聴牌は無い。
万事休す、完全に手詰まった。
5索、6索、8索のどれか.......どれかを切らなければ、負ける。ただ、このうちのどれかはロン牌だ。
俺は確信に近いモノを感じていた。
胸ポケットから煙草を取りだし、火をつける。
立ち昇る紫煙が、対面の男の顔を霞ませて見せた。

この霞の先の景色を見たい。
そう願ってここまで来たのに、それは遥か彼方に霞んでいる。
俺はその景色を見ること無く、ここで無惨に散るのだろうか。
この一打が、全ての命運を分ける。
不思議な事に、俺は自分が高揚していることに気が付いた。
紫煙が晴れて、対面の男の顔がはっきりと視界に映し出される。
何度も卓を囲った男だ。俺に麻雀を教えた男の顔だ。
あれから10年以上が経って、皺も増えて、前髪は後退し、何処にでもいるただの初老の男に成り果てた顔だった。

マンションでこいつに再会した時は、麻雀そっちのけで飲み屋へ繰り出し、朝まで飲んで、駅前のカプセルホテルに泊まって、また日が沈んでからマンションへと繰り出した。
俺とこいつは、麻雀の腕は仲間内で1、2を争い続け、僅かにこの男の方が成績が上だった。
頭が良く回るヤツだった。大学の成績も良く、俺と違って4年でキッチリ卒業し、上場企業の内定を取ったと喜んで報告して来た。
俺は内心少しばかりの嫉妬をしながら、それでも心から祝いの言葉を浴びせ、また朝まで語り合った。

こいつの麻雀はとにかくデジタルの一言だった。
戦術本を読み漁り、流行りの麻雀プロリーグの話になれば淀みなく喋り、あの時のあの選択はすごいだの、あの推し引きはこうすべきだっただの、とにかく色んな話をされた。
俺が博打に溺れて行ったのとは違って、この男はとにかく麻雀というゲームを愛していた。
その感情が、俺の持つ麻雀への感情と違う方向を向いていると気がついた時、俺はこいつには一生勝てないのかもしれないと、心のどこかで思った。
どこまでも純粋に、透き通った麻雀への姿勢は、この男の強さを裏打ちしているようだった。

マンションでの成績は五分五分だったが、やはり僅かにヤツの方が上だった。
また同じ場で鎬を削るのが嬉しい半面、俺は毎日この男に『正解』を見せつけられるような感覚に陥る度に、少しずつ憤りを感じるようになった。
ちょうどその頃、マンション麻雀のオーナーが俺に声を掛けてきた。
とある場が開かれ、そこで俺に麻雀を打って欲しいという――代打ちの話だった。
報酬は、当時の俺の1ヶ月の収入をゆうに超える額だったが、そんなことはどうでもよかった。
俺はとにかく、あの男から距離を置きたくなっていた。

初めての代打ちは、危なげなく勝利を収めた。
その場を仕切っていた男は、俺の闘牌をいたく気に入ったらしく、その後も俺は代打ちとして麻雀を続けた。
月に数回、呼び出されて麻雀を打つ。
代打ち同士の麻雀が殆どだったが、時たま堅気の人間が座ることもあった。
大抵が闇金で負った借金が嵩み、一発逆転、最後のチャンスを与えられたと勘違いした人間だった。
そこまで追い詰められた時点で、既に終わっていることに気が付かない哀れな者達。
そんな状況で、まともな麻雀を打てるはずがない。たとえまともな状況だったとしても、一般人が聞けば足が竦むようなレートで麻雀を打っているのだから、追い詰められた土壇場で最善を尽くすことなど出来るはずもない。
そうした挑戦者の尽くが散っていった。
後に残ったのは金と、今日もまた生き残ったという充足感と、ほんの少しの虚しさだった。
あれ程求めていた博打が、思う存分打てる場に立ってもなお、俺は満たされることは無かった。
ここでは無い、そう直感した。
時折、腕の経つ代打ちや堅気と出くわす事もあったが、それも俺の心を震わせるほどの経験にはならなかった。

選択の時は、すぐそこまで来ていた。
煙草は既に燃え尽きた。
灰皿の隙間で、火種が小さく燻っている。
誰も声を発さない、物音ひとつ立てない。
静寂の中、微かな息遣いだけが耳に届く。

手牌から牌をつまみ上げる。
覚悟は決まった、選んだからには、これが当たり牌だとしても、ここで俺の全てが終わったとしても、微塵の後悔もない。

「リーチ」

静寂を裂く立直宣言と共に、供託を卓上に放り投げる。
俺は牌を横に倒すと、そのまま河に叩き切った。

打赤5索、6-7索待ち。
赤5索が通る根拠も、確信も、何も無い。
ただ己の直感に身を任せた、博徒としての一打。
供託を増やす意味があるかと問われれば、俺の覚悟だとしか説明がつかない。
と言うよりも、この状況で満貫ツモ条件を与える方がどうかしているだろう。
11600点差、供託がリー棒合わせて2本。対面の満貫ツモで僅かに400点差で逆転を許す。
自己陶酔に陥った上での倒錯した立直だと言われれば、そうかもしれない。だが、全ての手牌を横から覗き見て他人がとやかく言うそんな戯言に興味は無い。
これが、俺が選んだ道だ。
麻雀はどこまで行っても博打でしかない。
やれクリーン化だの、競技麻雀だの、そんなものに麻雀の本質は存在しない。
今この瞬間、この卓上で繰り広げられる闘牌の結果が全てで、信じられるモノは己の技術と直感だけだ。
博打なら、勝負所でありったけを注ぎ込むのが常識だろう。
だから、曲げた。

対面の男が、対して驚きもせず俺の切った赤5索を一瞥した。
ロンの声は上がらなかった。

下家が現物を切る。
対面のツモ番、山からツモった牌に視線を送ることもなく、男は盲牌のまま静止した。
振っても終わり、振らなくても残す僅かな順目でツモれなければ終わり。
ここまで終始追い詰められていた俺は、この土壇場でその形勢を逆転させた。
あとは、対面の男の選択が全てだ。
この一巡、この一打で全てが決まる。
そんな予感がしていた。
男は止まったままだ。ツモの発生が聞こえないということは、和了牌では無い。
ほぼほぼ跳満の聴牌が入っているこの状況で、悩むことと言えば、1つしかないだろう。
手替わりのある、索子引き。
このゲームで初めて、男は長考を始めた。

何を考えているのか、考える。
大抵の人間は、この局面で考えていることは麻雀のことでは無い。この状況になった時、逆に麻雀の事を考えていられる方が異常者だろう。
たった一牌が人生を左右するのだから、それが普通だ。
何でこんなことになったのか、引き返すタイミングはなかったのか、後悔と自責の念が溢れかえり、正常な思考が奪われる。
あげく失禁する者や、発狂する者を俺は何人も見てきた。

ただ、この男だけは違った。
取り乱す様子も無く、汗ひとつかかずにじっと静止している。思考を巡らせ、最善の一手を考える。
今この場で行われている博打を、どこまでも麻雀として捉え、活路を見出す為の時間。
この男にとってもまた、この卓上の出来事が全てであり、しかしそれは俺とは違った、もっと純粋なモノだろう。
それこそが、この男の正しい姿であり、俺はそれが何より嫌いなものになっていたと、今ようやく気がついた。

こんな状況になってもまだ、麻雀と真摯に向き合う事が出来るのに、そもそもなぜこんな状況になっているんだお前は。
独立して事業に失敗して、借金を作ってそれも返せず闇金に手を出して、そんなことになってまで、俺はこんな所でお前とケリをつけたくはなかった。
ただ、この機会が無ければ、それはそれで機会を永遠に失っていたかもしれない。
逆にこの卓を囲む面子の中に俺が組み込まれた事は、天啓とも言える千載一遇の機会なのかもしれない。
かもしれないが止まらない。答えは出ない。
この場でこの手を倒すことが、正解なのか。
俺が生き残り、こいつが破滅するのが俺にとっての成功なのか。
いくら考えても、答えは出ない。
麻雀に正解なんてものは無い。
それは、初めて麻雀牌に触れたあの日に、この男から教えられた麻雀の本質だった。

長考の末、対面の男はツモった牌をそのまま河に切った。
叩き付けることも無く、いたって落ち着いた不通の打牌。
この一打で全てが決まる、そんな牌を、少しの力も込めずに男は河にそっと置いた。

「ロン」

すかさず、俺は和了を宣言し、手牌を倒した。




全てが終わった後、俺は誰もいなくなった部屋で最後の場が残された雀卓を眺めていた。
7索ツモ切りが、男の選択だった。
対面の手牌を倒す。

3-6-8-9索の4面張。そこに、ツモ7索。
ノーチャンスの8索を切れば、中ぶくれ4索の聴牌。
槓すれば……俺は、嶺上牌をつまみ上げた。
6索。

ここからは打8索しかないだろう。3-6索の聴牌。
その次の俺のツモをめくると、そこには3索が眠っていた。

これで放銃、断幺九清一色ドラドラ、倍満直撃、文句なし対面の逆転トップだった。
俺の和了が、本当に紙一重のモノだったと再確認する。
結局、俺の選択が成功し、あいつの選択が失敗した。
ただそれだけではあるが。

赤5索切りを見て、その近辺の跨ぎの筋が当たらないと踏んだのか。槓したところで有効牌をツモるとは限らないからしなかったのか。現状の聴牌よりも良形になる見込みがほとんどないからツモ切ったのか。
本当の所はもう分からないが、多分全部だろう。
あの男は、そんな奴だ。

煙草に火をつける。吐き出した紫煙が立ち昇り、視界を霞ませる。
この闘牌の先に辿り着くと信じていたその答えは、未だ遠く、なお霞が濃くなったような気さえした。

たった一度で何が分かるのか。
俺はやはり、この博打の先の景色を見る機会を永遠に失ってしまったのかもしれない。
そもそも、もうここが終着点であり、先などは無いのかもしれない。
今俺が立つこの場所こそがその景色であり、俺がそれを受け入れようとしていないだけなのかもしれない。
また好機は訪れると考えるのは、傲慢な人間の性だ。
たった一度、この瞬間に全てを注ぎ込む事こそが何より重要であり、その結果何も得られないこともあるが、ただそれだけの出来事なのだ。
その本質を理解していたつもりでいたが、それはつまり解っていなかったということなのだろうか。

答え合わせは済んだ。
俺は煙草を吸いきらないうちに灰皿に押し付け、この部屋を後にした。

朝焼けが目に染みる。
長い夜だった。
昇る太陽が、道の先から真っ直ぐに俺を照らす。
外には誰も居ない。あの男も、数合わせの人間も、男を連れて行った奴らも。
世界中に独りだけになったような錯覚を覚えながら、俺は独り帰路へと着いた。

卓上の些事の全ては、人生の岐路と同じ、千変万化の可能性に満ちた選択だ。
この一打が人生を左右する、常にそんな心持ちで麻雀を打ち続けてきた俺もまた、博徒ではなく雀士であったのかもしれない。
答えを見つける機会は、もう無い。
ならばただ、この邪鬼巣食う魔窟を、独り歩み続けるだけだ。
その先にもし、また答えを見つける機会が訪れたのならば……最早それだけで僥倖と言えるだろう。


※この先有料部分はあとがきとなります。本編が面白いと思っていただけたらご購入していただけると幸いです。


あとがき

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