見出し画像

ベッドと朝食(エッセイ、二千字ほど)

車は、
ダートムーア国立公園に入った。

イギリス南西部に広がる、
広大な緑地である。

ロンドンとは空気がまるで
違っていた。

辺り一面が緑。

芝生の広がる所や、
群生する林などを遠くまで、
丘陵地帯を望むことができる。

初めての海外旅行だった。
叔父に誘われて、
着いてゆくことにしたのだった。

ここへ来るまで、
フランスも旅行していた。
ロンドンへ到着するなり、
この公園まで行こうという
話になり、
急遽レンタカーを借りて
来たのだった。

公園に入るとすぐに
緑に包まれた。
まもなく一軒の家のような
物が見えた。

「B&Bだな。」

叔父は、いい所と見たようだ。
B&Bとは、
ベッド&ブレイクファスト、
の略。

寝泊りが出来て、朝食付きの
日本で言うところの
民宿である。

平屋で、一軒広い母屋があり、
少し離れに
泊り客用の小さめの家が
建っている。

すべて平屋で二階は無い。

車を停めて、
叔父は宿の人に交渉しに行った。

私は、その間待つだけだ。
私も、いい印象を持っていた。

宿の前には橋があり、小川が
流れている。
その小川も緑に包まれて、
覆うほどで、
森の中に居るような感覚に
陥る。

自然の中に宿がひっそりと
佇んでいる感じだ。

車道はぎりぎり二車線で、
日中、
車のほとんど通らなかった。

公園の中心部に行けば、
といっても、
あまりに広大な土地では
あるのだけど、
小さな町くらいは
あるかもしれなかった。

叔父が手続きを終えて、
ここに二泊することとなった。

早速出かけた。

車はただ、
緑に囲まれた丘陵地の道を
行く。

ガードレールなどは無く、
たまに、申し訳程度に
レンガ作りの小さな
フェンスらしき物が
無造作に低く積まれて
いるのを目にするだけで、
目線はつねに、
この広い丘陵地を遠く見渡す
のみであった。

この地では、
二泊で色々なことをした。

小さなレストランで、
昼食を取った。
肉料理だったと思うが、
美味しかった。

昔、イギリスの食はまずい、
と聞いて覚えていたのだが、
そんなことは無かった。

馬に乗って、ガイドに
従い、広い丘陵地を
渡ったりもした。

私は乗った馬に嫌われたようで、
あまり言うことの聞かなかった。
乗り方がまずかったように思い、
すまなく思った。

景色は素晴らしいものであった。

小川を渡り、坂を上り、
一時間半ほどのコースを
乗馬した。

ある家では、焼き物を
していた。
焼き場、窯の中なども
見せてもらったりもした。

色々と思い出は出来たけど、
一番印象に残っているのは、
先に書いた B&B だった。

他所で夕食を済ませて、
ひと晩泊まり、朝。

早起きすると、
少し雨が降っていた。
五月のイギリス。

行けるところまで、
少し散歩しようと
いうことになって
歩いたが、足場が悪く、
すぐに引き返した。

母屋へ行く。

食堂へ着いた。
テーブル席が三つほど、
縦に並び、
横目、左手は
全面ガラス張りで、
森の様子を間近に
見ながら食事できる、
ということだった。

手前の木、二、三本には
巣箱が設置されている。

鳥が餌をついばみに来る。

宿は、初老の夫婦が
二人で営んでいた。

奥さんが食事を作り、
旦那さん(主人)は、
庭の見廻りなどして、
ゆったりと時が
流れている。

庭は広い。というか、
どこまでが庭か分からない
自然な造りだ。

主人が食事を持ってきた。
気持ちのいい朝。

英語で話し掛けてきた。

意味は何となく分かった。
食パンに塗るジャムを
一つにするか、
二つ(ミクスチャー)に
するかを選んで欲しい、
とのことであった。

私は、「ミクスチャー。」
と丁寧に答えた。

すると主人は少し驚いて、
「いい発音です。」と
言った。

私は英語は全く駄目だが、
学生の頃から、
洋楽だけはひたすら
聞いていた。

アメリカン、UK、など。
特にイギリスの歌には
シンパシーを覚えていた。
英語特有の発音は
確かに必要だけど、
アメリカの訛りのような
ものがないから。

気持ち、日本語の発音の
仕方に近いかも知れない。

ともかくは、その一件で、
私は主人に大層気に入られた。

背がひょろっと高く、
いかにも穏やかな性格。
一方、奥さんは、
ふくよかな体をして、
なお一層の優しさを
備えている感じであった。

元々、人当たりの印象が
良かったので、
なおさらこのご夫婦に
親近感を覚えた。

とは言え、
特にコミュニケーション、
話の弾んだ訳でも無かった。

旦那さんとの会話は
それ切り。
奥さんとも特に話さなかった。

言葉は無けれども、
もてなしの心は、
充分に伝わってきた。

チェックアウトの時に
なった。
素晴らしい公園だった。

叔父が、ご夫婦と
最後のお別れの挨拶を
していた。
私は、後ろの方で
それが済むのを待っていた。

話が終わると、
主人がわざわざこちらまで
来て、
私の両手を、自分の両手で
つかんで包み込み、
笑顔で話し掛けて来た。

意味は分からなかったが、
気持ちは伝わって来た気が
したので、
「サンキュー、ベリーマッチ」
と、私も笑顔で返した。

何ということのない宿泊だった
のだけれど、
あの時の
ご夫婦の幸せそうな姿が、
今でも忘れられない。

自然の中で、鳥と共に暮らす
宿の人とのあたたかい
交流だった。



(終わり)



『あとがき』

およそ、10年以上前のお話です。

母方の叔父と二人で、
フランス、イギリスへ
旅行したときの一部を、
エッセイ風に書いてみました。

本文にあるように、
思い出が
一杯ありますが、
特にこの宿のご主人との
やり取りは、
言葉が通じなかった分、
余計に人とのつながりを
感じさせられた
エピソードとして、
書いておきたかったの
でした。

ちなみに、朝食のメニューは、
イングリッシュ・トースト、
ベイクド・ビーンズ(豆)、
ベーコン、ソーセージ、
スクランブルエッグ、
などなど。
奥さんの手作り定番メニュー
でした。

勿論、紅茶でいただきました。


つる かく

お着物を買うための、 資金とさせていただきます。