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コーチングの学び〜限りある命〜

私は子供の頃に死にたいなーと思うタイプの子供でした。それは苦しい思いをしたからとか、辛い経験があったからではなく、ただ生きている意味について考えていたからです。もちろん5年生の頃に「生きている価値がない」という手紙をもらったこともありました。そのことも…いえ、今書いていて、その手紙がきっかけで「生きている価値」について考えたのだと思い出しました。
また、死にたいと思ったのも…振り返った今大したことではないと思っているだけで、当時は学校が辛く悲しく悔しかったことも思い出してきました。なぜ、大したことではないと感じたのかは明らかで、積極的に向き合いたい過去ではなかったからです。
その5年生の時に私は「生きた証を残したい」と思いながら生きていました。当時郵政民営化を行った小泉首相がいました。「私はこんな風に歴史に名前を残すことはできないけれど、せっかく地球に存在することができたのだから、生きた証をどうにかして残せないだろうか?」そう考え、出た結論が「子供を産もう。命のバトンを繋ごう」ということでした。私は5年生の頃から結婚して1人でも多くの子供を産みたいと願っていました。
3人の子供を産んだ時に初めて、自分の人生のピースがカチッとハマった感覚を持ちました🧩本当に不思議な感覚でthat is all.とまとまったのです。
ここからは私は生き急ぐことがなくなりました。「いつ死んでも大丈夫」と思うようになったのです。不思議な感覚です。
けれど最近子供の成長が著しく、成人する姿をみたいと思うようになりました。人の貪欲さに冷や汗が出てきますが、今ある命を大切にしようとする姿勢の現れなのだとホッとする気持ちもあります。
今日コーチより「生かされている命」についてお話を受けました。「死ぬ時に、igのフォロワーのことを考えるだろうか?回ったリールのことを思うだろうか?死ぬ時には家族のことを思うのではないだろうか?自分が自分らしく生きられたかどうかを問うのではないだろうか?那実はどう生きたい?」「サリバン先生になりたい」「そう。サリバン那実…大切な児童に教え伝え続けられる存在でありなさいね」とお言葉をいただき噛み締める夜です。

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