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『アンナチュラル』

90/100

本作は2回目弱?の視聴である。1回目はほぼリアルタイムで観た。その後コロナ禍で話題になって第一話だけ観て「ほぇ〜」と感心し、そして今回、改めて全話通して観た。

このドラマのすごさはしかし、当時はまだほぼ一般に知られていなかったPCR検査の話が出てくるとか、当時はまだ今ほど共通認識として発展していなかった「明確な合意なき性行為は犯罪」という、至極当たり前であるにもかかわらず黙殺されてきた事実を堂々とはっきりと世に言い放ったとか、そういうところにとどまらない。すでにそれらだけでも十分な価値があるのだが、真の凄みはここではない。本作が明らかに他の作品と一線を画す理由は、人間の心のひだまで丁寧に余すところなく描こうとしているその真摯な姿勢だ。

本作で私が最も衝撃を受けたのはやはり第5話のラスト。これ、やるのか!日本のドラマで!と心底驚いたし、制作側の覚悟に感動すらした。
倫理か感情か。これは常に人間にとって克服しがたい葛藤のひとつであり、さまざまな作品で形を変えて描かれ問われてきたテーマだ。そして多くの場合、最後に「勝つ」のは倫理であった。
本作で愛するひとを奪われた鈴木は、激しい憎しみという感情に取り憑かれて犯人を刺す。問題はこの後だ。鈴木は血を見て我に返ることはなく、深手を負って逃げようとする犯人の背中に馬乗りになる。複雑に迷いながらも、「まだ間に合う」というミコトの声にはもう耳を貸さない。とどめをさすかのごとく包丁を持つ右手を大きく振り上げたとき、まさにそのときに、鈴木の脳裏には愛するひとの姿が浮かび上がる。多くのドラマでは、この瞬間に倫理が勝つ。そして泣きながら凶器をその手から落とすのだが、鈴木はその想起によりさらに強く犯人への復讐を決意し、渾身の一撃を加えるのだ。中堂はそれを見て「思いを遂げられて本望だろう」と、実に率直に語る。

感情か倫理か。これはまさに「答えのない問い」である。私たちは、自分がまさにそうした当事者になったとき、本当に鈴木とは違う決断をできるのだろうか?むしろ鈴木を見て、少なくとも私は、正直に言えば、「そうだよなあ」と感じずにはいられなかった。これほどの決意をもってしても、やはりこの問いは永遠に終わらないのだ。鈴木はその残酷な真実を、改めて観るものに突きつけた。どちらが正しいとかいいとかいう話ではなくて、「もうどうしたらいいのよ」という苦しみをただただひたすらに示したのだ。これを「誠実」と評さずして何と呼ぶのか。

このような「ただひたむきに人間を見せる」という強い覚悟に満ちた誠実さが、本作を貫く核だ。「絶望しない」とうそぶくミコトの目はいつもかすかに絶望の色を放ち、「人間なんて切り開いて皮を剥いだらどいつもこいつもただの肉の塊だ」(個人的にはかなりシビれたセリフのひとつ)と吐き捨てる中堂は這いつくばりながら微かな希望を探している。そしてそのどちらも、それぞれの「生を生きている」のだ。そもそもそのはじまりが「不条理」でさえある生を。

それにしても石原さとみがこんなに素晴らしい俳優だったとは。やはり脚本と演出は本当に大切である。ミコトも中堂さんも東海林さんも六郎くんも神倉所長も、みんな真剣で愛すべきひとびとであった。続編てのは大体本編を超えられないものだが、それでもシーズン2を心待ちにせずにはいられないのである。


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