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感染予防対策として、マスクの着用が当たり前となり、人と話すときも距離を取るなど、今までの当たり前な状況が一変した。私も、動揺が走り、大好きな飲み会ができないことを憂いた。そんな時、メディアでは「zoom飲み」が推奨され始めた。離れていても、複数人でつながることができるなんて。私は喜んだ。 もともとガジェットに強くない私が、慣れない手でネットをつなぎ、初めて友達の顔が表示された時には感動だった。その後、続々と参加してくる他のメンバー。いつもの顔ぶれが揃い、2時間はあっという
人類が滅亡する時ってどういう状況だろうと考えたことがある。戦争だとか人口減少だとか食糧難だとかそういうことより地球の環境が大きく変化して、それに耐えられなくて絶滅してしまうんだろうなと思っていた。例えば地殻変動とか隕石の衝突とか、宇宙人の侵略とかでもいい。 しかしどうだろう。もし今回の出来事がもうちょっと感染力が強くて、もうちょっと発症が遅くて、もうちょっと致死率が高かったとしたら。あっという間に世界中に広がって、ある日突然発症して、みんな死んでいたかもしれない。 隕石
結局旅行を諦めた私はもうどうにでもなれ と思っていた。 私の職場は人が密集しており、対策らしい対策といえば当時は消毒用のアルコールが設置とドアを開けて換気をしておくくらいがせいぜいだ。働いている人の間でも「誰かかかったらもうアウトだよね」といつも言っていた。 もう休みになっちゃえばいいのに という話すらお決まりの冗談として使われていた。人命軽視、業務優先の我が職場。休みになることなど到底無理だろうと誰もが思っていた。 そんな職場も、さすがに罹患者が出れば動かざるを得
電気もつけない真っ暗な部屋でそっと耳を澄ました 寝ている飼い猫がゆっくりと呼吸している音が聞こえる 規則的に繰り返すその音はワタシの気持ちを落ち着けさせる (だいじょうぶ、まだ、だいじょうぶ) 漠然とした不安が消えることなく ただただ変化に乏しい景色が 『自粛』という2文字が重くのしかかり 繰り返される灰色の日々 怯える反面 いつか来てくれると待ち望んでいた 『死』をどこかで期待していた日々だった この時世故に 身近な人たちを思うように見送れなかった 口惜しさが その
あの日のことはぼんやり覚えている。昨年の冬くらいからサウナに興味を持ち、近くのスーパー銭湯で温まったり冷えたり、拷問のような状況を楽しんでいた。ご存じの方も多いだろうが、サウナにはテレビが設置されていることがある。長時間何もせずただただ耐えるというのは退屈だからだろう。私はひどく目が悪いので正直テレビが流れていても見ることはできないのだけれど、それでもなんとなしに音だけ聞いていることはある。ちょうどニュースが流れており、武漢での新型ウイルスを知らせるものだった。 「新型だ