二次創作における「神」を崇拝するということ(1)
こんにちは。
美憶(みおく)です。
初めに
私は、二次創作の界隈で「字書き」をしています。
今日は、そういったところから少し離れてこの作品について色々書きたいと思います。
『私のジャンルに「神」がいます』
真田つづる著の本作ですが、二次創作の「字書き」にフォーカスされた作品で、近年同人界隈とくに字書きに焦点を当てられた商業作品がほとんどなかったこともあり、瞬く間にTwitter上で話題となりました。
連載当初、気になってはいたものの、私の置かれた状況に近しいこともあり、冷静に物語を楽しめないと思い込んでいました。
そのため、この作品とはあえて距離を置いていました。
しばらくして、なにか二次創作とは別の場所で自由に言葉を紡ぎたいと思った時、noteに辿り着きました。そして、記事を書こうとした時に、題材としてこの作品を選びました。
思い立ったその足ですぐに書店に行き、勇気を出して『私のジャンルに「神」がいます』の1巻2巻を手に取りました。書店のコミックコーナの一番上の棚に私の探していた書籍はひっそりと並んでました。
その時の高揚感は忘れられません。
初めて商業BL小説を手に取ってレジに向かった時のあの背徳感と達成感のようなものに似ていた気がします。
あらためて、この作品を読んでみると思った以上に「百合」だな、と思いました。
※百合とは女性同士の恋愛を描いたジャンルのことです。
ここでいう百合というのはで女性間で巻き起こる「嫉妬」や「憧れ」といった感情が混ざり合いながら描かれる群像劇というふんわりとした定義なのですが。
同性だからこその女子校的な閉鎖空間といいますか、読者である我々が「一度は経験したことのある女同士の面倒くさい」エピソードと共に個性豊かな登場人物たちが二次創作の書き手あるいは読み手として一喜一憂し、奮闘する姿を描いた作品です。
書き手(読み手)にとって
二次創作とは何か
作中には、書き手(読み手)にとって同人誌、二次創作とは何かというアンサーがいくつか出てきます。
1つ目は、「秀才字書き」の七瀬(ななせ)の言葉です。憧れの「天才字書き」である綾城(あやしろ)の二次創作を目にした時のものです。
これは、「読み専」のイクラ丼(いくらどん)が7年前に書かれた虚崎(うろさき)二次創作のサンプルを読んだ時のモノローグです。
※読み専とは二次創作において絵を見る、小説を読むことが専門の人のこと(非書き手)
※虚崎は綾城の以前のジャンルのハンドルネーム
上記の2つは、秀才字書きの七瀬が天才字書きの綾城の同人誌を手にして読んだ時の描写です。
このように、作中から引用した言葉を使うならば二次創作(綾城または虚崎の生み出す作品)とは、「夢」であり時には「殺人兵器」にもなり「魂の叫び」という名の「一つの世界」であり、「宝物」ということになります。
果たして、彼女たちは本当にそう思っているのでしょうか。
私にも、敬愛する字書きがいるので書き手を慕う気持ちや尊敬する気持ちは十分理解することが出来きます。
また私自身も、読み手からこのような言葉を言われた経験があるので書き手と読み手の関係性の一種のファン心理というもの分かります。
それにしても、綾城という神に「認知」されたいと願う七瀬や、「神」に自分のジャンルに留まって欲しいと願う友川は、本当の意味で「綾城」を崇拝しているのでしょうか?
「神」という体の良い記号をつけて、二次創作を「消費」しているだけではないのかと思ってしまいます。
(かくいう綾城も、おけけパワー中島に紹介される形で七瀬や友川の二次創作を知り「消費」しているわけですが)
では、七瀬や友川と、綾城の違いは一体なんなのでしょうか。
次回、二次創作における「神」になるために何が必要なのかという点でまた書きたいと思います。
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