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二次創作における「神」を崇拝するということ(3)

こんにちは。美憶(みおく)です。

今回は、『私のジャンルには「神」がいます』の中で、感じる「違和感」について考えていきます。

二次創作至上主義のあやうさ


二次創作を始める動機については人それぞれ違いますが、『私のジャンルには「神」がいます』の登場人物は度々「神字書き」に憧れて「字書き」を志します。

そのこと自体、決していけないわけではありません。ただ、「神字書き」に憧れ、二次創作に熱狂する彼女たちの「盲目すぎる」思考に違和感を覚えました。

また、『私のジャンルには「神」がいます』2に登場する好野(よしの)は、憧れの字書き蓮見(はすみ)の同人誌を読み、自分も同人誌を書きたいと強く憧れます。

「そして本を読み込むほどに憧れの気持ちが強くなっていった」

「蓮見さんみたいな素敵な話が書きたい! そんな思いを胸にわたしはペンを握った」
第4話 あの頃の同人女 P.108


好野の原作そっちのけで、二次創作を創作することにどんどんのめり込んでいく姿に読者である私はすっかり置いてけぼりになりました。

「私……もっと上手くなりたい 綾城さんに興味をもってもらえるくらいの字書きになりたい…!」
第1話天才字書きと秀才字書き P.9


第1話で登場する秀才字書きの七瀬についても、二次創作を行う動機が、原作への愛というより「神字書き」に認知して欲しいという思いが強く描写されてしまい、承認欲求という魔物に取り憑かれた哀れな字書きであるというイメージが拭えきれません。

正直、「承認欲求」のためだけに書くくらいなら、二次創作はやらずに一次創作すればいいのにというのが私の感想です。(元も子もない話ですが) 

本作の作者は、登場人物たちが努力して成長していくいわゆるスポ根マンガ的な要素と愛憎劇としての「百合」が描きたかったのだろうのかなと推測するのですが、物語の主題が「二次創作」ということもあり、文字通りあくまでも原作ありきの「二次」創作なので、書き手である字書きが努力したところで必ず報われる(神字書きになれる)わけでもないところが何とも世知辛いです。

そして、推し(Gくん)が死ぬ展開について最終的な救いは「原作」ではなく「神字書き」の二次創作であったとする第7話「天才字書きのアンチ」では、「二次創作至上主義」がさらに加速していきます。

Gくんが死んだ後、お通夜状態だったTLが神字書きが小説を投稿した途端、綾城が投稿した二次創作創作を読んだ「感想」で溢れかえる状況についての一場面から引用してみます。

「やっとGくんの死に向き合えた気がする……」

「どうして誰もGくんを守ってくれなかったのかすごく悲しかったけど、誰もG君を止めることは出来なかったんだなってやっと理解できた…」
第7話 天才字書きのアンチ P.127
「みんなGくんの話してる… も…もしかして公式からコメントでも出たの…?」
第7話 天才字書きのアンチ P.128

ざわつくTLの様子をみた天才字書きのアンチである柚木は、公式(原作)から新たな展開があったのかと期待をするも、実際は綾城が投稿した二次創作について言及しているつぶやきであったことを知ります。

次に、このざわつくTLを生み出した元凶である綾城の信者のツイートを下記に引用してみます。

「この小説を読みました。最新話の展開でつらい思いしている人みんなに読んでほしいです。」
第7話 天才字書きのアンチ P.128


この信者のツイートからも、まさに原作<<<<<二次創作(神字書き)であることが伺えます。 

ただ、原作の展開が〇〇だったらいいのにという思いで二次創作する気持ちは分かります。その熱い思いこそ二次創作の醍醐味であることは理解していますが、綾城を取り巻く人物たちは、本来根底にあるはずの「原作」へのリスペクトが欠如しているように思えてならないのです。

さらに、天才字書き(またはその周辺)に嫉妬するオタク女たちの構図にストーリーの焦点を当てすぎて「二次創作すること」の本質を描き切れていないと感じました。

神殺しは成立するのか


第8話 天才字書きの生まれた日の中で、虚崎(現在の綾城)に二次創作の小説を書くことをすすめたナツメですが、虚崎の字書きとしての才能が開花するにつれ、虚崎はナツメのフォロワー数、ファボ数も超えていきます。

「ほんの少し前までフォロワーもファボも私の方が上だったのに…」
第8話 天才字書きの生まれた日 P.150


また、ナツメには憧れの存在としてあさぎという神字書きがいましたが、そのあさぎと虚崎が相互フォロー同士となったこと(それだけではなくあさぎから先に虚崎のことをフォローしていたこと)をナツメは知ってしまいます。

ナツメは、自分が雲の上の人のように尊敬していたあさぎが虚崎に取り入ろうとする様子を目の当たりにしたことで、ナツメにとってあさぎは「神」ではなくただの「字書き」に成り下がってしまったわけです。

最終的に、ナツメにとっての神であるあさぎを虚崎によって殺されたこの出来事がきっかけとなりナツメは堪らず「毒マロ」を虚崎へ送ってしまいます。
※マロとは匿名でメッセージを送ることができるサービスのこと
この一件で、虚崎は自分に二次創作をすることの楽しさを教えてくれた友人を失います。

虚崎は、他者から嫉妬や妬みという感情向けられることにより、孤立していきます。
その結果、皮肉にも周りは虚崎のことをさらに神格化することとなります。

つまり、虚崎が意図していない結果であったとしても神(あさぎ)を殺して自らが神になるという「神殺し」が成立したと言えます。

最後に


綾城は、神になりたいと思っているわけではなく、おけけパワー中島のように神と崇めることなく普通の友人として接してくれる相手が欲しかったのだと思います。
その証拠に綾城の筆が止まったり、筆を置こうとした時、綾城の心に響いたものは綾城の取り巻き(信者)からの絶賛コメントではなく、決まっておけけパワー中島の率直な言葉です。

おけけパワー中島の存在なくして、神字書きの綾城は存在しません。綾城は、おけけパワー中島という「普通の友人」の存在に救われているのです。

そもそも二次創作における神なんていないのだと思います。

それが本作に感じていた「違和感」の正体でした。

結局、神なんていない。
液晶画面の向こうにいるのは生身の人間なんです。

そう思うことで、胸の奥にある息苦しさから少しだけ解放されるのではないでしょうか。

ここまで、お読みいただきありがとうございました。

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