見出し画像

同人女に同一視されて人間不信になった話(4)

こんにちは。美憶(みおく)です。
前回の続きです。

同人女に〜が、こんなにたくさんの方に読んでいただけると思っていなかったのでとてもびっくりしてます。
また、スキやフォローしていただき、ありがとうございます。

決別と告白

あれから、私は界隈とE奈さんから離れるために自分にとって一番良い方法を模索していた。
そして、辿り着いた答えは、周囲に悟られないように、何も告げずにTwitterアカウントを消すということだった。その当時の私は、ことを荒立てずに、界隈からフェードアウトすることが最も最良であると思っていたのだ。

しかし、私が界隈から離れることについて、C子さんだけには直接お話ししようと思っていた。C子さんに何も告げず、突然姿を消すのはあまりに水くさい気がしたからだ。万が一、私の身勝手な行動のせいでC子さんに変な噂がたってしまっては困るし、せめて真実を分かってほしい人にだけでも私の本当の気持ちが伝わればいいと思った。だから、C子さんに私がこれまで感じてきたことを打ち明けることにした。

ちなみに、C子さんとE奈さんは相互フォローの関係であったが、二人はほとんど関わりがなく親しい間柄と言えなかった。そのため、私がE奈さんの件をC子さんに話したところで、C子さんとE奈さんの関係にヒビが入るとは到底思えなかった。

C子さんと私というと、長い月日を経てABの字書き同士という枠を超え、歳の離れた姉妹のような間柄となっていた。プライベートなことでも何でも話することができるようになっていたし、お互いの好きなジャンルに留まらず、本当の姉妹のように二人でいろんな所へ遊びに行った。だから、私がこの界隈で感じている事柄を包み隠さず口にしたとしても、きっと彼女なら受け入れてくれると思った。

某日、私はC子さんと美術館に出かけた帰りにU駅に併設されたカフェに入った。私はホットコーヒーを頼んだ。C子さんはハーブティーを頼んで、小さなカウンターに隣同士で座った。少し雑談をしてから、私は勇気を出して切り出した。
「あの、相談があります」と私は言った。
「突然どうしたの?」とC子さんが驚いたように言う。
いつかの時のデジャヴのようなやりとりに思わず、私は笑いそうになった。このやりとりのおかげですこし緊張が和らいだ。
「実は、あるフォロワーさんの件で困ってまして……」と私は言う。
「名前を言わなくても誰のことを言ってるのか分かるよ」とC子さんは言った。
その時の彼女の声は、全てを見通しているというような落ち着いた響きだった。
「私、Twitter辞めたいです」と私は言った。
本当はもっと色んなこと伝えたかったのに、いざ言葉にしようとするとうまく伝えられなかった。苦しくて悔しかった思いは、涙の粒となって溢れ落ちた。C子さんは私が落ち着くまで何も言わずに待ってくれた。

私は胸の中に溜めていた苦しみを言葉にかえて、少しずつ吐き出していった。E奈さんに同一視されて苦しいこと、彼女との一件で自由に創作できなくなったことや、自分の好きなものを素直に好きと言えなくなったことの辛さについて彼女に打ち明けた。C子さんは私の異変に気づいてくれており、この件についてE奈さんが関わっていることも薄々勘づいていたようだった。また、E奈さんが書く小説が私の影響を受けていることも私が感じるよりも先に彼女は見抜いていたようだった。C子さんは、それでも私とE奈さんの間が良好なら外野が口出しするまいと静観していてくれたのだ。
情けない話だが、私の感情のアンテナは他者の感情には敏感に察知し読み取ることができるのに、自身の感情や自分へ向けられた感情あるいは好意については、アンテナの感度がすこぶる悪かった。

私は元々自分の感情を表に出すことが苦手なので、こういう時うまく言葉にできなかった。それでも私の言葉にC子さんは静かに頷いてくれた。時々私が言葉に詰まっても優しい笑顔で私のことを見つめてくれていた。やっぱりC子さんは大人だ。C子さんは、E奈さんのことを一方的に責め立てることなく、私の気持ちを受け入れてくれた。その優しさが私には嬉しかった。彼女の存在が私のささくれ立った心を癒してくれた。こんなことなら、彼女にもっと早く打ち明ければよかったと思った。私が、一人で抱えるには重すぎた荷物の一部をC子さんは軽々と抱えてくれた。

そして、彼女は私にこう言った。

誰にどう思われるかより、自分がどう思うかを大切にしてください。誰が何と言おうとあなたが嫌と感じているなら、それが正しいです

彼女の言葉に救われた気がした。ずっと私は、こんな話をして自意識過剰って思われたら嫌だとか、被害妄想で自分のことを買い被りすぎているのではないかということばかり気にしていた。そういう体裁を気にするのではなく、もっと自分の感情と向き合うべきであった。
C子さんは私の繊細で優しすぎる性格をよく分かっていた上で、誰も傷つかない言葉を選んでくれたのだ。やはり、彼女は言葉をよく理解し、適切な言葉を使い分ける才能があった。これは、字書きとしての最も優れた才能の一つだ。

いつだったか、私はC子さんにこんなことを聞いたことがあった。「C子さんは、私のどんな所を気に入ってくれたのですか?」と彼女に言った。
私には単純に疑問だったのだ。C子さんがなぜ私にこんなによくしてくれるのだろうとその理由が分からなかった。こういう時、普通の人はこんなストレートに質問をしないのだろうけれど、私は自分で言うのもアレだが随分と風変わりな人間なので臆すことなくC子さんに問いかけた。彼女も私の性格を理解してくれており、質問以上の深い意味はないと察してくれていた。
「私はあなたの言葉に対して真摯に向き合う姿勢に尊敬してるのよ」と彼女は照れたように笑った。

字書きにとって、これ以上の賛辞があっただろうか。私は、この彼女の言葉を聞いて心の底から喜び、魂が震えたことを覚えている。界隈一の字書きから言われたから嬉しかったのではなく、もっとも信頼している人からもらった真っ直ぐな言葉だったから、すごく嬉しかった。

もし、心の中に宝石箱があるのであれば、私は心の宝石箱にこの時にもらった言葉を大切にしまっておこうと思った。そして、時々宝石箱を開けて、その言葉の煌めきを遠くから眺めてうっとりしたいと思った。

最後に

こうして、C子さんに心のうちを伝えたことで私の気持ちは浄化されていくことになる。

それでも、完全に吹っ切れてはいないし、時々思い出して息苦しくなることもあるけれど、私には私以上に私のことを理解してくれて受け入れてくれる存在がいるということを知ることができた。私にとって、彼女との出会いは本当に奇跡のような出会いであった。

だから、私はもう一度人を信じてみようと思った。

私は彼女に言われたような「言葉に真摯に向き合う」字書きであるべく、今もこうして言葉と向き合っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?