徒然なるままに 令和6年2月11日
今日は「建国記念の日」でした。
たまに「建国記念日」と言っている人がいますが、「の」が間に入ることを忘れてはいけません。
「建国記念の日」の歴史
この日は、戦前「紀元節」と呼ばれていました。
しかし、終戦後GHQにより紀元節は廃止されました。
きっと多くの国会論戦が繰り広げられたのでしょう。昭和41年に、建国記念の日として復活しました。
「建国記念の日」の名称
建国記念日という言い方をすると、2月11日に日本が建国されたという意味になります。
建国記念『の』日という感じで、間に「の」が入ると、日本が建国されたことを祝う日という意味になるため、2月11日に建国がされたという意味がすべてではなくなります。
「建国記念の日」の日付
建国記念の日を制定するときに、いつにするのかという議論がかなり行われました。
日本国憲法が施行された日や、サンフランシスコ条約が発効された日など。
有識者会議も行われ、旧暦の1月1日にあたる2月11日がいいよねーと話がまとまり、今にいたります。
日本の長く古い歴史
初代天皇とされる神武天皇は、紀元前660年2月11日に奈良の橿原で即位をしたことが日本の建国だと、記紀には書かれています。
これが事実かどうかは、わかりません。ただ、建国についての確かな歴史がなく、建国が神話上でしか残っていない、現存する国は日本だけです。
例えば、中華人民共和国は国共内戦に勝利した中国共産党が、1949年に建国した国です。
デンマークも958年頃に即位したハーラル1世が、統一をしました。
ただ、日本だけは歴史学・考古学で存在が立証されている「継体天皇」に至るまでは実在したのか否かわかりません。
日本という国が今もこうして存在し続ける以上、誰かがこの国と統一し建国したという事実は変わりません。
継体天皇の時代には、九州から関東までの範囲を統治したとされています。これだけの土地を、継体天皇がたった1代で統一したとか考えにくいです。
だとすれば、継体天皇以前の天皇が、指導者として日本を建国したとなります。
もしかすると、近い将来、考古学・歴史学で大発見が起きて日本の建国をした天皇が誰なのかということが科学的に立証されるかもしれません。
そうすると、「建国記念の日」が2月11日ではなくなりやもしれません。
なんなら、正確な建国された日がわかれば「建国記念日」という名称に代わりかもしれませんね。
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