つらみちゃん

見付けてくれてありがとうございます。 あいどるとかメイドとかDJとか 色々やってた一般…

つらみちゃん

見付けてくれてありがとうございます。 あいどるとかメイドとかDJとか 色々やってた一般人。 半生を綴っております。

最近の記事

コミュ障がメイドさんになった理由

子どもの頃から『メイドさん』に憧れていました。 私が小学生だった、90年代後半。 まだメイド喫茶というものが主流ではなく、私の中でメイド=萌え、というようなイメージもそこまでありませんでした。 白黒のロングスカートのクラシックなメイドさん。 その姿に憧れ、ノートにメイドさんの絵を沢山描いていました。 ただメイドさんなんて海外の仕事だ、と、その頃の私は思っていたのです。 『メイド喫茶』というものを知ったのが高校生の頃。 こんな文化があったのか…と思ったのと同時に、私もメ

    • いつだって助けを求めているんだ

      お久しぶりです☺︎ だいぶお日にちが空いてしまいました。 私は学生の頃から メイドさんやったりアイドルをやったり 自分の好きなことをするのを生き甲斐にしてきました。 有り難いことに私に会いに来てくれるファンの人も増えて、 自分を必要としてもらえる有り難さを感じました。 私は誰かに必要とされていないと感じることが苦しいのです。 私はこの世の中に必要ないのでは? 私なんかいなくなればみんなハッピーで万治解決なのでは? とどうしても思ってしまいます。 これはもうどうしても

      • 学園祭の実行委員になったお話

        大学2年生のとき。 たまたま学園祭の実行委員を募集していることを知りました。 私は高校時代も生徒会として文化祭の実行委員的なことをしていて、 完全なお祭り大好きっ子だったのです。 よし! やるぞ! 実行委員! 人生で一番フッ軽だった時期の私は、 やる気満々で参加したものの… 忙しさがえげつない 重い荷物持って何往復もして 走り回って レポートの提出期限にも追われながらなんとかかんとか準備に励む 学園祭直前の最後の5日間は学校に泊まり込み。 (5日ぶりに学校の敷地

        • 3つのサークル

          大学の入学式帰り、 歩道には他大のサークル勧誘の皆さんが長蛇の列を作って待っていました。 歩けど歩けどサークル紹介のチラシを渡される。 駅に着く頃にはファッション雑誌1冊分くらいの量のチラシを持っていました。 うちは女子大だったので余計勧誘が多かったのかもしれません。 私は絶対に楽しい大学生活にする、という強い決意があったので、 若干空回り気味に一気に3つのインカレサークル(他大学と共同のサークル)に入りました。 何故なら自分の大学で友達が出来る気が全くしなかったから

        コミュ障がメイドさんになった理由

          魚屋さんになった理由

          大学生活がスタートしました。 とりあえずバイトを探そう…とタウンワークを開きます。 私は千葉県から都内の大学へ通っていたのですが、 やはり県内より都内の方が時給も良いということで、 通学定期内の都内某デパートの食品売り場の求人を応募しました。 無事面接にも合格し、 アルバイトを開始することになったのですが、 受かった後に気付いたのです。 あっ、魚屋さんだったんだ、ここ。 デパ地下のレジ…ということしか理解せず応募してしまったのです。 そもそも デパ地下が売り場ごとに

          魚屋さんになった理由

          新しい日々の始まり

          春の風に吹かれていた… 大学は児童心理を学ぶ学科へ進学しました。 過去の自分のような、いじめに遭っている子ども達を救いたい。 院までいって資格を取って子どもを救う活動ができる仕事をしたいな…なんて考えていました。 進学に対する不安はありましたが、 偶然高校で仲良しだった友達が同じ大学の同じ学科へ進学が決まり、それが一番の救いでした。 入学前の健康診断も2人で待ち合わせして向かいました。 桜が満開の通学路で、舞い散る桜の花びらを2人して夢中でキャッチして遊びました。

          新しい日々の始まり

          卒業

          あっという間に高校卒業を迎えてしまった。 中学まで いかに目立たず大人しく過ごすか考えて暮らしていた私が、 生徒会に入ったり、 可愛い子ばっかりの中のバトン部に入ったり、 校外のボランティア活動に参加したり、 沢山友達を作って色んなことにチャレンジ出来た3年間だった。 自分が変われたのは高校の仲間と自由な環境のおかげだと思う。 卒業式が終わった後、教室でみんなで輪になって、スピッツの『空も飛べるはず』を歌った。 そのあとガストのデリバリーをして クラスのみんなで教室

          あの頃愛したモバゲー

          先日、何を思ったか10年振りくらいにモバゲーにログインしてみたんです。 そもそもログインできるのかな? パスワードあってるかな? とか考えながら入ってみると、 当たり前ですが、 当時のプロフィールのまま、 当時のアバターのままで 気持ちが一瞬でタイムスリップしました。 自分が入っているサークル一覧を見ると あぁ、当時の私はこれが好きだったな…なんて 今ではハマっていたことすら忘れてた10年前の私が好きだったものが溢れていました。 今回はそんなモバゲーについてのお話です

          あの頃愛したモバゲー

          SEASONS

          英語科での生活は楽ではなかった。 1時間目から4時間目まで英語の曜日とかもあって、 もう軽くノイローゼ。 英語の授業を英語でされる。 もう何言ってるのか全然わからない。 そもそも私、中学3年間ほぼお勉強ばっかしてたし、 受験生になってから死にものぐるいで勉強して、 それでいてギリギリ合格した高校なので、 本来の自分のレベルにあっていなかった。 授業についていけない毎日 時期に学校に向かう自転車に乗っていると 勝手に涙が出る様になってきてしまった。 あと、授業につい

          女の子にときめいた話

          周りに女子しかいないと、 女の子に対して恋愛感情みたいなものを持ってしまうって たまに聞きますよね。 多分そうゆうのって 男勝りなカッコいい先輩にドキドキする💓 とかが多いのかなと思うのですが、 私は凄く可憐で華奢な後輩の女の子にときめいていた経験があります。 今回はそんなお話です。 高校で私はバトン部に入っていて、 昇降口の前のスペースが私達の活動場所でした。 ある日陸上部のマネージャーに凄く可愛い子がいることに気付き、 なんとなく部活の度にその子が気になるように

          女の子にときめいた話

          共学だと思って進学したら女子校でした。

          正解には共学で間違いないのだけど…。 全校生徒の9割が女子。 という高校でした。 しかも私が入った英語科は 3クラスあって男子が全員で10人もいない。 案の定私が入ったクラスは 男子0人。 クラス全員女子。 あれ…進路間違えちゃったかな… 中学3年間、浮いた話は全くなかった私ですが、 高校入れば彼氏くらい出来ると思ってたのに… もはや出会い0じゃん!!!! いや男子少ないのは学校説明読んで知ってたけど… ここまで少ないの??? これじゃ女子校に進学したも同然じゃ

          共学だと思って進学したら女子校でした。

          ファッション歴史

          大人になった今、ブランドとか正直全く興味ないんだけど、 子どもの頃はブランド物が大好きだった。 小学生の時は ナルミヤ・インターナショナルの ANGEL BLUE mezzo piano が特に大好きだった。 お正月、朝からそごう並んで、ANGEL BLUEの福袋買いに行くのが楽しみだった。 mezzo pianoのお洋服も今見てもめちゃくちゃ可愛い…。 雑貨系は完全にサン宝石!!! ちゃおとかりぼんに広告載っててそこからカタログ注文してた! 届くのがいつも楽し

          ファッション歴史

          受験の話

          私、小学校時代は死んだように生きていて 学校にいるけど不登校のような生活していたので お勉強も正直全然だったのね。 中学から塾にも通わせてもらって 割と必死に勉強してたんだけど なかなか難しくて。 ただ英語だけは自信持って得意だと言えた。 実は小学生のとき英語教室(ECCジュニア)に通わせてもらったことがあって、 木曜日は英語教室があるから真っ直ぐ帰宅する理由になってて、 放課後いじめられなくて済んでたんだよね。 それだけの理由で私は英語教室が好きだった。 英語教

          voyage

          タイトルは中学校の時大好きだった曲のタイトル。 浜崎あゆみさん。 この歌詞に何度も何度も救われてきました。 結論から言うと中学3年間、 元いじめっ子と関わることは全くなかったんだけど、 やっぱり中学入学当初は、少し怖かった。 またいじめられるんじゃないかって 多少は思いながら暮らしてた。 でも 1年生のあるとき、 教室の椅子を運んでるとき思ったの。 怖がってる時間勿体なくない?って。 何故かその瞬間から、全く何も怖くなくなった。 子どもの心理って不思議だなって自分な

          イルミネーションが好きな理由

          小学校6年生になってから、 毎日楽しかったし、 希望に溢れた生活を送ってた。 でも中学生になったら、自分をいじめてた上級生達と同じ学校に進学する訳で 不安な気持ちが脳裏に浮かぶこともある。 そんな冬の日、家族で東京駅にイルミネーションを見に行った。 神戸ルミナリエの出張版みたいなのが期間限定でやってたんだよね。 私は周りに光もあまりない田舎で生活してたし、 都会に出た経験もあまりなくて、 電車に乗って 高いビル見て キラキラピカピカした街並みを見るのが凄く斬新だった。

          イルミネーションが好きな理由

          世界に色がついた瞬間

          真っ黒だった人生に 色がついたのは小学校6年生くらいから 見える景色全てが明るくなった 5年生の終わりくらいから クラスでもイケてるグループの子達が話しかけてくれるようになって 何が目的だったのか今でもわからないけど。 そのうち教室にいてもその子達とは自然に話せるようになってきたんだよね。 それである日思ったの 「こんな派手目な子達と話せてるんだから他の人とも話せるのでは…?」って。 殻が破けた瞬間だった。 そこからクラスの他の子達ともだんだん話せるようになって

          世界に色がついた瞬間