私の不妊治療⑧「友人と仲間」

私は高校時代の友人が大好き。
一番楽しかった3年間。いくつになっても、あの頃に戻れるなら戻りたいと思ってしまう。
個性を認め合うのが当たり前、日本人離れしているようにも思える感覚が普通だった。

一緒に過ごした友人とは何年経っても関わりがあって、
大人になってからも何度も旅行に出かけた。
旅先では笑い声が絶えなくて、どんなにしょうもないことでも、皆で分かち合った。
まさしく、楽しさは2倍、悲しさは半分。そんな関係がずっと続いていた。


「それでも結婚すると世界が一変するのが普通」
友人の一人はそう言った。
確かにそうなのかもしれない。

就職して離れ離れになっても、独身なら自分たちの好きな時に都合を合わせて往来できたものが
家族が出来るとそういうわけにはいかない。
いくら働いていたって、家族に使うお金があるから、全て自分の思い通りに使えるお金でもない。


本当は、気づかなかっただけで、
少しずつ、少しずつ、距離は開いていたのかもしれない。

たまたま同時期に結婚した。本当にラッシュだった。
出会いから結婚まで、皆様々、それぞれの物語、
時期が重なったのは本当にただの偶然だった。
普通はバラバラになって当然だ。違う人生なんだから。
妊娠出産だって、、タイミングは合わなくて当然なんだ。


それぞれの人生があってそれぞれの幸せがある。
友人であっても人の歩幅に合わせるものではない。
分かってる。
分かってるよ。


だけど

本当は分かち合いたかったんだ。
同じように妊娠出産を経験して、お互いの子供の成長を見守りあいたかった。

私が一緒に並べなかったのは仕方がないこと。
誰のせいでもない。

不妊治療を知らない皆が、私の気持ちを理解できないことも知っている。
どれだけ詳細に、事実を説明しても、絶対に伝わらないことを、知っている。
私の気持ちを汲むなんて、もう一生出来ない事だ。
それを望む事はおかしい。そんなの私のエゴだ。



これ以上皆と一緒に過ごせないと思ってSNSを消した日からずっと考えていた。
いつか戻れる日が来るかどうか。

最初は妊娠すれば、と思っていた。
それから何度も考え直して、”安定期がきたら”とか”出産したら”とか色々考えた。

でも無理だ。

努力を重ねても陰性だった時のショックだとか、
採卵結果が全滅だった時の絶望だとか、
自己注射や採卵手術の痛みも、
日々の葛藤も、
一生母になれないかもしれないという大きな不安も、、
分かち合えないんだもの。


卵胞が20mmを超えた時の安堵も、
胚盤胞が凍結できた時の喜びも、
移植の日エコーに光って映る受精卵を見た時の感動も、
私にとってどれだけの事なのか、皆には想像もできない。


もし結果的に無事出産して母親になったとしても、
それまでの過程が根本的に違う。違い過ぎる。
経済的余裕も違えば心持ちも全く違う。

皆にとっての「当然」が私には分からない。
その事に気付かされる『何か』があった時、私はきっと深く傷つく。
だからそこに戻る自信が、勇気が、全くない。

それが現実だと思った。
自分なりに受け止めた。



でも逆に、それらを全部分かち合える人がいることも知っている。
専門クリニックに転院を決めたあたりから、私はTwitterで同じ境遇の人を探してフォローし始めた。
最初は情報収集のつもりだったけれど、沼に足を突っ込んだばかりの私にとって、
もっと前から苦しんできたはずのに、前向きに挑み続けている人たちがすごく気高く、強い存在に思えた。

どれだけ不安定なメンタルだろう。きっと皆私と同じように何度も傷ついて泣いて来たに違いない。
同じような残酷な現実を突きつけられてきた皆は
受精することが簡単ではないことも、
受精しても育つことが難しいことも、
着床する確率だって高くないことも、
それらを全て乗り越えることが、私たちにとってどれだけ大きくて尊い事かも、
全部知っている。

だから私はそこで分かち合いたいと思った。
もし、妊娠しても、
この記憶はなくならないから、不妊治療はなかったことにはならないから、
フォロワーさんと一緒に頑張って、励ましあって、立ち向かいたいし、背中を押したいと思う。
誰が先とか、ここでは関係なく、もし自分が先になっても、この気持ちを忘れたくないなと。


それでも、不妊治療というのは、人生の岐路だなと思う。
知ることのなかった事実に触れ、自分の中の常識や理想はボロボロに崩れた。
世界が違って見えるようになった。


いつまで治療が続くかは誰も知らない。
その現実はいつだって残酷だけれど、それはこの世の終わりではない。
そう思えるようになったのは、仲間のおかげ。


次回「選択肢」

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