私の不妊治療⑦「闘病」

たくさんの事を色んな人に知って欲しかった。
2年前の自分が無知だったように、不妊治療の必要がない人は何も知らない人がほとんどだ。

政治家でさえ不妊は疾病じゃないというし、中には女性は子供を産み育てるのが当たり前と決めつけている人もいる。
不妊の原因は女性の年齢でしかないなんて、思い込んでいる人も。


私たち患者は何に苦しんでいるのか。

本当に原因は年齢なのか、
たった数十万円の金額が出せないと嘆いているのか?

不妊治療の事実を、
私が生きるこの現実を知って欲しくて
取材では言葉がどんどん溢れてきて
色んな事を話した。


手術に臨む気持ち。
1回目と2回目の採卵の結果が頭をよぎって不安な事。
終わりが見えないの治療なのに高額な治療費が家計を圧迫している事。

手術前後の身体の痛み。
点滴を刺すのもそう。
腫れた卵巣が腹部を圧迫して苦しい事。
何十回も穿刺した卵巣が術後にズキズキ痛む事。

そんな中日々のニュースを見て感じること。
親戚友人の妊娠出産報告を聞くのが辛い事。
何も知らない人たちが好き勝手批判していて悔しい事。

1日かけて取材してもらったけれど、放送されたのはほんの数分。
それにあれを見た人は不妊治療関係者が多かったんじゃないだろうか。
どれくらいの人に伝わったか分からない、それでも少しでも誰かの認識が広がっていたらいいなと思う。


3回目となった採卵手術の結果、採卵個数は19個だった。

2日後に受精確認をしに再度受診、するはずだった。



でも採卵翌日の夜、私の体には異変が起きていた。
下腹部に激痛が走り、冷や汗が流れた。
座っていられない、満足に動けない。
異変と言えども何が起きたのかは理解していた。
OHSSだ。


PCOS患者のトリガーにHCGを打つのは、産婦人科医なら誰でも知っているご法度。
OHSSを引き起こすリスクが格段に上がるからだ。
それでも私は打っていた。
自分の異常受精率を下げるためにした決断だった。

OHSSは採卵後2-3日に発症しピークを迎えると聞いていた。
つまり私がその時体験した激痛はピークではなかった。

症状は腹痛とは言え、自分に起きているのは卵巣過剰刺激症候群だと理解していたので
救急車で向かってもらった先は産婦人科のある総合病院。
たまたまお産予定があり産婦人科の先生がいたため、内診してもらう。
その時の卵巣は12cm、血管内脱水、腹水。
無理に動けば卵巣捻転の危険性もある。
即入院を言い渡された。


最初の採卵手術の時はOHSSのことをかなり真剣に忠告されていたので、採卵前にもしものことを考えて入院準備をしていた。
けれど、転院してからはOHSSなんてまずならないと言われていたので、すっかり気を抜いていたし、
通院先の滋賀県付近に滞在することもせず、自宅に帰っていた。
突然の入院に驚き、後悔したけれど時すでに遅し。


眠れない夜だった。
痛み止めの点滴を何度も入れる。食欲もない。

入院後に迎えたピーク時の卵巣は14cm。
腹水だけでなく肺の中にも水が溜まり、呼吸苦が見られた為、酸素吸入を余儀なくされた。


結局入院生活は10日間にも及んだ。
このご時世面会も出来ないため、病室で何をするでもなく考え事ばかり。

同室の妊婦は私が何をしてこうなっているか知る由もない。
エコーで見える我が子の心拍を確認できることは幸せだろうな。

私は何をしているんだろう。
身体はボロボロなため移植の目処も立たないだろう。
失い続けるばかりで何も得られない。
そう感じていた。

私の急な入院で、勤め先は大混乱。
責め立てられたというほどではないけれど、あれやこれやと毎日メッセージが届いた。
籍を置いている以上、何も言わない、何も知らないが通用するものではない。
仕方がないので一部の同僚には不妊治療を打ち明けた。

私は何も悪いことはしていない。絶対に。
けれど、乗り越えなくてはいけないこと、責任をもって負担しなければいけないことは、沢山あるのが現実だ。


退院翌日、出社したものの、駐車場から事務所への少しの距離を歩くのが、とてもしんどかった。
まだ肺が回復しきっていない。どんな高い山を登ったのか、というほどに息が切れる。
席についても苦しくてなかなか一言が発せなかった。

元々主観的に言えば仕事は余裕がある方だ。(客観的に見れば莫大な量らしく混乱を生んだが。)
幸い溜まった仕事はすぐに片付いた。

次は受精・培養結果を聞きに滋賀にいかなければ。

再診に病院を訪れるとすぐ別室に通され、血圧や酸素濃度を測られた。
まだやや低め。案の定その周期の移植は見送りましょうということになった。

同時期誕生日を迎えていたので、本当は旅行の予定を入れていたけれど、
とても長距離移動できるような体調ではなく、そちらもキャンセルを余儀なくされ、踏んだり蹴ったりだった。
もちろん、入院費用もそこそこかかった。
保険診療な分、体外受精とは比べ物にならないけれど。

2週間遅れで聞いた受精結果は、、2回目の結果よりはよかった。
でも、やはり平均には遠く及ばない、悲しい結果だった。
凍結できた胚盤胞は2回目よりもグレードが低い2つ。
片方は細胞数が少なく、グレード付け出来るものでもなかった。

移植には進めると言えども、身体を犠牲にしたところで実を結ぶものではないのだと、
また痛感した。


次回「友人と仲間」

OHSS入院の詳しい話はこちらの記事で↓


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