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AIの時代に「歩荷」

山小屋の仕事で歩荷をしている時にこんなことを考えた。


(歩荷とは人力で荷物を背負って荷運びをすること。
後ろから見た時に荷物が歩いているように見えることから「歩荷」と呼ばれます)


AIだのDXという言葉がなんの説明もなく文章に綴られていて、多くの仕事がそんな最新技術によって淘汰されるかもしれない、
なんて騒がれている時代に

よく「歩荷」なんて仕事が残っているな、と。


歩荷なんてものは、
今でこそEvernewの「キャリーボーン」なんて横文字の、いかにもお洒落な名前の道具を使ってはいるけれども、


結局やっていることは江戸時代の飛脚となんら変わらない。
地上で荷を運ぶか、山で荷を運ぶかの違いだけだ。

身一つで数十キロもの荷物を担いで、
滝のような汗をかきながら
長い時で7〜8時間歩くのである。


下界では遥か昔に
トラックや航空機、船での輸送が当たり前になっていて、
今やドローンが自動操縦で荷物を運ぶようになる時代においては、
歩荷なんて、もはや酔狂の類ではないだろうか。


それが山では今でも平然と行われている。

以前山小屋はガラパゴスだという記事を書いたが、歩荷はその最たるものかもしれない。


もちろん物資を全て歩荷でまかなっているわけではなく、
ほとんどの荷はヘリコプター輸送になってはいるが、
天候やヘリコプターのスケジュールの関係で歩荷をせざるを得ない状況が毎年のようにある。

数年に1回の緊急事態ならまだわかるのだが、
歩荷をしなかった年は今のところ無い。

歩荷は山においてまだ必要とされている仕事ということになる。

さらに言えば上記の内容は
山小屋仕事の中の一つとしての歩荷だが、

日本には歩荷専門の会社「日本青年歩荷隊」という会社も存在する。
いわゆるプロの歩荷さん。

活動しているのは主に尾瀬周辺を中心に
依頼があれば他山域にも出向くようなのだが、
しっかりと仕事があって事業が成り立っているようだ。



これは勝手な考えだが、
スマホを開発することと比べたら、
荷物を自動で山に上げる装置くらい簡単にできてもよいのではないか。

確かに自然保護の観点とかで、
道路を作ることやロープウェイを増設することはできないし、
開発したとしてその投資を回収できる程の価値があるのか、と問題はあるにしても、

それでもドローンによる輸送など
もっと早く開発されてもいいはずではないか。
(今実験は行われているようだが、まだ実用化される雰囲気は無い)

もしかしたら過去に開発しようとした人がいたとして、
山の人間たちに「そんなものはいらん!」とでも
突っぱねられたりしたのだろうか。

テクノロジーが凄まじい勢いで進化していく中で、

100年以上前の人と同じように、
ヒーヒー言いながら山道を歩く、
その時代とのギャップが
私には不思議でしょうがない。


ここまで色々と歩荷にケチをつけてきた感じになってしまったが、
この仕事自体は嫌いではない。

目的地まで運びきった達成感は
何にも変え難いのはもちろん、 

今の時代に逆らって、
しぶとく生き残っている仕事に携わっているのは
反骨精神ではないけれども、
ちょっと誇らしかったりする。

あらゆる仕事が消滅するかもしれない、
と不安が取り巻く社会で、
化石のような仕事が生き残っているのは、
なんだか希望が残っているような気持ちにもなる。

そんな相反する考えと気持ちを抱えながら
多分、今年も荷物を背負うことになる。

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