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八甲田山麓に暮らしてみて
私は現在、
八甲田山の麓、
青森県十和田市の西部に住んでいます。
暮らしている場所は山に囲まれていて残念ながら八甲田山は見えないのですが、
買い物で十和田の市街地へ行った際には、
田畑の奥にそびえる、夕日に染まった八甲田山を眺めてただただ感動する日々を送っています。
正直なところ、あまりにもキレイなので
同じ市内の奥入瀬渓流ばかり注目されて、八甲田の夕景が注目されないのだろう、と疑問に思うほどです。
さて八甲田山と言いますと、何も知らない長野県民の私からすると、
八甲田山雪中行軍遭難事件
の舞台であり、
怖い山
というイメージしかありません。
が、実際に麓で暮らし、登ってみると、
そういった厳しい山であることを実感すると同時に、それだけではない要素があることにも気が付きます。
八甲田山は1つの山を指すのではなく最高峰 大岳を主峰とする18の山々の総称です。
そして青森県の中央にデンと構えているため青森県の広い範囲で眺めることができる存在感の非常に大きい山となっています。
私の暮らす東麓の十和田市はもちろん、
北麓の青森市、
西側の弘前市と
青森を代表する各都市から眺めることができます。
しかし県の中央にあるために県内の移動にも大きな影響を与えています。
たとえば私は休日に青森市や弘前市に買い物に行きます。
日用品は十和田で事足りますが、登山用品を見にモンベルなどに行こうとすると先に挙げた2都市にしかないためです。
そこで十和田市の西部から
青森市や弘前市に国道を使って最短ルートで行こうとすると、
一度八甲田山の近くを通らなくてはなりません。
傘待峠という標高1000mの峠越えがあります。また標高100~200mから一気に標高が上がるため急坂や急カーブなどがあり少し大変です。
一方青森市方面へ向かう際に峠越えをしないルートとして県道40号がありますが、こちらは冒頭に上げた、雪中行軍遭難事件の際に、遭難した青森歩兵第5連隊が吹雪の中で彷徨ったルートに重なります。
県道の途中には資料館や銅像、露営地を示す看板など雪中行軍にまつわるものが数多くあります。
今でこそ車で通ることができますが、冬季は峠越えの国道103号・雪中行軍の県道40号ともに通行止めとなる区間があるほどの豪雪地帯となります。
どちらのルートも春先には通行できるようになりますが、解除後しばらくは背丈を優に超えるような積雪があり、
雪の重みに耐えかねた樹木が横になって道路にはみ出している、
そんなルートです。
(写真は途中の茶屋。これでも雪が溶けてきている4月の末です)
青森県の自然の厳しさがうかがい知れると同時に八甲田山の影響の大きさを身近に感じます。
話は少し変わりますが、
日本地図や桃鉄のマップ(知らない方ごめんなさい)などを見れば、
各県の有名な都市の場所や地名は覚えることはできますし、それでその県のことを知った気にはなります。
青森県には青森市や弘前市、十和田市、八戸市といった町があって、
場所はだいたいこのあたりで、
この駅には新幹線が停まって...といったように。
ただ実際に暮らしてみないとその都市間の本当の物理的な距離や精神的な距離感は見えてこないな、と最近思うのです。
今回のテーマの八甲田山は特に顕著な例です。
青森県は南部地方・津軽地方とに分かれていて犬猿の仲だと揶揄されることも多いそうなのですが、実際に東西の都市の真ん中に八甲田山があって往来が難しいことを考えると上手く交流できていなかったんだろうな、
ということがうかがい知れるのです。
私は短期間での移住なので、まだ知らないことがたくさんあるのですが、地方移住の面白さって、このようなことを知ることだな、
と八甲田山麓で暮らしながら改めて思います。
もしかしたら八甲田山麓の話、次回も続きます。
つの
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