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レオナルド・ディカプリオさんも『道きかれ顔』(多分)という話し

『道きかれ顔』っていう言葉があるんですけど、ご存知?ですよね。
ざっくり説明すると、街を歩いていて結構人から道を聞かれるという人です。しかもサングラスやイヤホンをしていても声を掛けられる確率が高いというから興味深い。

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ワタシの『道きかれ顔』のイメージはというと、

①優しい、親切そうな雰囲気がある
②トガった見た目(容姿)ではなくナチュラルテイストが漂っている
③忙しそうに見えないし、今困っているようにも見えない

この三つが瞬時に見分けることができる条件でしょうねー。

そして、声をかける側の目的がただ道を聞く以外だった場合には、これに条件をプラスしてその目的に合った相手を選別しているのじゃないかと。
例えば、目的が『何かしらの勧誘』だったりすると「悩みを抱えていそう」とか、「寂しそう」や「断れなさそう」などです。

ワタシとしてはそう簡単に用事を頼まれたり聞かれたり、要するに下に見られる感じ?はちょっと嫌だなーと思っていて、若いころは日々いつでも常に忙しそうにしていましたよ。
実際死ぬほど忙しかったので嘘ではないのですが、その甲斐あってかまあまあ声が掛けづらい印象に仕上がっていたと思います、というかそう言われることが多かった気がします。

だけれども、この『道きかれ顔』のちょっとスゴイところは、先ほども書いたとおり、”サングラスやイヤホンをしていても声を掛けられる確率が高い”というところなんです。
これはどういうことが起きているのでしょうか。

単に下に見られるというよりは、むしろ既に信頼されているということなのかも。
知り合いでもないししゃべったこともない相手から、初見でそのように判定されるなんて、ちょっとスゴイことですよね。
恐らくそういう人は本人が気が付かないところで、そうではない人に比べると得の多い人生を送っているのではないかと思ったのです。
そう考えると『道きかれ顔』って悪くないなーと気づき始めたのが、ワタクシ50歳を過ぎた辺りからなんですよ。(遅)

それに、ちょうどこの年代になると勝手に変化があるわけです。
別に意識もしていなかったのに、10年前に比べたら格段に人様から道を聞かれるようになってましたねー(ナンデ?)、いやオドロキの変化ですよ。
まず、ぱっと見忙しそうに見えないですしねー、実際暇を持て余している感じすら平気でかもしちゃってますからね、昔のワタシとは大違いです。

あと、もうひとつ変化があってそれは何かというと、何か困ってそうな状況を見かけたとき、躊躇せず「お手伝いしましょうか?」という一言がサクっと出るようになりましたねー。
しかも相手から「いえ、大丈夫です(結構です)」と断られても別に何ともなくなったのが大きい。
それは、(自分だったら多分断るから)断られることもそりゃあるだろうよくらいに思っていれば良いだけのことだったんですよそもそも。
断られたって、何もしないで行ってしまうよりきっと気分良いですからね。

更に、『道きかれ顔』って悪くないなーと気づいたもう一つの理由が、人から頼られる人は同時に人から親切にして貰ってると思ったのですよ。
つまり『一方通行は精神衛生上良くない』ってことなんですね。
人に親切にしたり人助けはするけど自分は誰にも頼らないし助けて貰えない人は、ストレスになります確実に。
反対に、人に親切にしたり人助けなんかする余裕がないしする気もないが自分だけは助けてもらいたいし当たり前だという人は、確実に嫌われ者です。
考えてみれば当然ですね、結局双方向だからうまくいくというわけです。
ギブだけでもダメでテイクだけでもシンドイ。
みんな『お互い様』、これに尽きますねー。

しかし、レオナルド・ディカプリオさん素敵すぎやしませんかね??
だってフード被ってリュック背負っても、レオ様です。

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