介護で価値観も人生設計もめちゃくちゃになった後に見つけたもの
いつものように仕事帰り何気なくnoteを開いてみたら、こんなハッシュタグが目に飛び込んできた。
note公式で、また何か記事募集をやるらしい。
…普段だったら、まぁあまりこういったコンテストとかには振り回されず(失礼な言い方になってなければ良いのだけど)ぽつり、ポツリとマイペースに語っていこう、と思って通り過ぎていたのだけれど
この言葉にちょっとの間釘付けになってしまい。
おそらくこのハッシュダグで投稿されるものの中には、日々の何気ない努力で思わぬ結果を生んだ話、とか素敵な話も多く投稿されるのだろう、それは楽しみにしています。
ただ私の場合は少し違うのかな?
そうだな、15年?20年?前、子供を産めなかった自分がせめても、と半分よりどころにしていた
【夫婦2人で働いて、遊ぶだけ遊んできちんと貯めて、主人が退職後は貯めた資金も活用できるように投資もそのうちしっかり勉強して、出来れば勤労時代にはあまり出来なかった長期旅行とか思いっきりやるんだ!】
そんななんとなく描いていた未来。
漠然と主人と2人での老後を想像していた自分。
予定では主人が65まで再雇用で働いてもらう間は自分もしっかりフルタイムで働いて、出来れば正社員ではない自分もせめて拠出型年金とかも貯めておいて…
…更にうん十年前のチャランポラン(死語か?)だった独身時代の自分には考えられない位色々勝手に計画立てて、まぁ軽く主人に話しながらも勝手に未来を想像して。
老後は世界一周なんてできなくても良いから、主人の再雇用前にまたハネムーンでいったボラボラ島に行きたいな、
とかホント勝手に思っていたんだけど。
…約10年前、ちょっと心配だった母親の脳神経内科受診に付き添った時に
そんな勝手に思い描いていた未来がガラガラと崩れていく音を聞いた気がした、ホントに音が聞こえた気がしたんです。
アルツハイマー型認知症
予備知識もままならないまま医者から聞いた病名にあの時どれほど体に震えが走ったか。
連れて行った理由も、ちょっと最近母の物忘れが激しい気がするけど、受診して違う、気のせいだったって分かれば私も安心して転職先で集中出来るから。
…そう、連れて行ったのは、次の派遣先着任3日前の事だったんです。
今から思えば、なんとなく気になっていたもっと前の時から受診させておけば、とか色々思う事はあったけど、あの時はあれが精一杯。
…まあその時の事を綴り出すとまたどんどん視点がずれて行ってしまうので。
あれから10年。
主人の退職はとうに過ぎ、まぁ再雇用は予定通り。
でも、想定以上に少ない給料。
ある程度予想はしていたけど、それ以上に少なくて。
んで、肝心の私は、と言えば、主人の再雇用が終わるまでフルタイム勤務どころか、
約4年前、ついに母の認知症対応との両立が叶わず介護離職。
離職なんてしない方が良い、なんて事ははなからわかっている。
でもそのままあの職場で介護しながら勤務する方法はなかったし、上司も選択肢を与えてくれなかったし(まぁその話もまたいずれの機会にしようかな)。
結局介護休業を取るチャンスも貰えないまま、追い込まれるように退職せざるを得なくて。
正社員でもなかったから退職金もなく、突如無職の介護人がその時誕生してしまったのです。
幸いその時はまだ主人も現役だったので主人の給料だけで食べていけてたから、
主人に甘える形で自分はそれから毎日のように実家に行って
昼間は母がデイサービスに行っている間ひたすら汚部屋となった実家を片付け、
財布の中身をチェックして、「なぜ昨日渡したお金がすっからかんになっているんだ」と絶望し、
冷蔵庫を開けてその原因となるパンパンに詰まった食料をみて唖然とし、
帰ってきた母親とつい喧嘩をしてまた自分の財布から母の財布に1000円入れ、戻ってきた母と喧嘩しながら下の世話をして、下半分は腐っている冷蔵庫の中身を整理しながら夕飯の準備をして。
ある時から主人の父の認知症も発覚し、必然的に無職だった自分が病院やら付き添う事になり、
毎日は母のところには見に行けなくなり、仕方なく母の財布に入れるお金が2000円になり、すぐになくなり5000円になりやっぱりすぐなくなり…
両方の親の病院あちこちに付き添い、何にこんなに使ったんだ?と思うほど気がついたら自分の貯金も費やし…
母も義父もなんとか施設に入ってもらえたのでようやく思い切って再就職、と思っても気がついたら3年も空いてしまったブランクを背負った50過ぎの女性を雇ってくれるところは本当に限られていて。
採用してくれた今の職場には本当に感謝しているけど、
きっと猫の手でも借りたかったんだろうな、と後から苦笑いする位人手が足りてなくて。
3年でこんなに変わるのか、という位ブランクが重くのしかかって、仕事終わりにはヘトヘト、でも今は2人分の給料合わせても正直現役時代の主人の手取りには届かず…
先日ちょうど昔漠然と思い描いていた老後(ではまだないけど)との差に愕然としてちょっと泣いたところだったのです…^^;
…でもね。
…でも、この10年の間に状況はガラリと変化して色々精神的にも肉体的にも金銭的にも追い込まれて大変なことも多かったけど。
その間に思わぬ人たちの温かさに触れたり(勿論冷たさにも沢山触れたけど)
実家の整理で思わぬ昔の母の本音を知る事が出来たり。
母の成年後見人にもなったから、素人なりに介護や認知症に関しての知識も増えて、
どんな事で苦労するのか、どんな準備があれば良かったのかが分かったから、
何となく子供のいない自分たちのさらなる年老いた先の未来への備え方が少しわかった気がしています。
…勿論失ってしまった労働期間(=介護離職期間)は戻らないし、今からまた昔の貯金を取り戻せるぐらいまで働くのは今の時給から考えたら到底無理だけど、
10年以上前漠然と想像していた未来とは到底かけ離れてしまった現在だけど、
幸い主人の退職金などには手をつけずにローンも返せたし、自分自身もまた細やかながら資金づくりを再開する事も始められたし。
何より、昔みたいなお金ばかり使って楽しむ遊びだけでなく、美味しかったレストランの味を何とか家の料理で再現してみようと四苦八苦したり(結果失敗が多いけどw)
手抜きでも良いからナントカイーツとか頼まなくて済むようにズボラ料理を考えたり、
コスパの良い趣味を見つけたり、
昔とは違う楽しみ方を見つけられたのも細やかな一つの財産なのかな、と。
何より必死に足掻いている記録を残しておきたくて、YouTubeを始めてみたり、今となってはnoteや今更インスタにまで手を出してみたり。
…そんな自分も昔だったら考えられなかっただろうな、と。
昔思い描いた将来とはかけ離れすぎてて、もし昔の自分が今の自分を覗きにきたらショックで固まってしまうだろうけど、
もしそんな自分を見つける事ができたら、
でも、決して悪いばかりでもないよ
と声をかけてあげたいな、と思ったりします。
苦しかった事が多すぎて、決して【良い10年だった】とはあの時の自分を思うと決して言えないけど、
それでも【最悪の10年、最悪の現在】とは思っていない自分がいる。
…少しだけ強くなったのかな。
だとしたら、あまりにも想像していなかった未来だったけど、決して悪くないのかもしれない。
母が認知症になって良かった、なんてどう考えても思えないけど、
認知症になってしまった母を足掻きながも介護する事ができて良かった、
とは思える自分がいる。
…ちょっと自分に酔いすぎかなw
でもあの介護に苦しんだ10年近くを(現在も義母の分は進行中だけど)整理して振り返る良い機会になったのかな、と思いました。
思いがけず昔を振り返り、整理する機会をくれた素敵なハッシュタグに感謝を込めて。
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