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ゴワゴワの毛から感じた命

私の家は特別裕福でもなかったが決して貧乏ではなく、親からの愛情を受けてすくすく育ったが、ひとつだけ憤りがあった。

ペットを飼ってもらえなかった。

私は幼少期からずっと動物が好きで、将来の夢はケーキ屋さんという王道ルートを通過して以降、ずっと動物園の飼育員や盲導犬の調教師など、動物に関わることだった。

その想いあっても、私の親は頑なにペットを飼うことを許さなかった。

今思えば、両親共に働いており、命を預かるには充分な環境が整っていなかった。責任感あるが故の決断だ。

だが幼い私は大変憤っていた。何故こんなにも動物に愛がある私の元にはペットがいないのだろう。誰か家の前に犬や猫を捨ててくれないかとすら思ってしまっていた。

そんな私を思ってか、両親はよく動物愛護センターに連れて行ってくれた。

そこには、ペットショップの小さいふわふわの犬や猫ではなく、ショーケースには確実に入らないくらいの大きな犬やよぼよぼな犬、様々な子たちがいた。

ペットショップとのギャップに驚きつつも、彼らに触れると、ゴワゴワでモサモサな毛から温かいぬくもりが手に伝わる。
ショーウィンドウ越しに見るよりもたしかにそこに命を感じた。

人間のエゴにより居場所をなくした子たち。
どの子も一匹一匹がとても愛おしく、大切に感じた。

100年後。
私が超人でなければ恐らくこの世にはいないだろう未来。
正直なところ、自分のいない未来のことを考えるのは難しい。
でも、たしかに、100年後はこの施設にいる彼らが、彼らのような境遇の動物達が幸せになっていてほしい、そんな想いを幼少期から今もずっと抱えている。

私はまだ、命を預かる環境もお金もない。でもその時がきたら、私と共に人生を歩んでくれる子を、あの愛護センターから見つけ出すつもりだ。

動物と共生するということ。ペットショップだけではない、選択肢を広めること。
数値規制など、劣悪な環境下にいる動物達を救うこと。
もっと規模を広げると、人と暮らす動物だけではない、この地球に生きている動物のことを想って生活すること。

人間が崩した世界なんだから、
人間がどうにかする必要があるに決まってる

#未来のためにできること


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