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とある男の新型コロナ病床録(後編Z)

(後編Z)

この記事は順番で言うと四番目の「後編Z」になります。(前編→中編→後編→後編Z)

前回↓

7月17日(金)

 ついにPCR検査の日がやってきた。憎き新型コロナウイルスがない世界線であったなら、本来この日はオリンピック開会式一週間前であり、街は狂騒に包まれていたはずだ。私もこのように苦しめられることはなく、来日した外国人たちとゴールデン街で乾杯していたのではなかっただろうか。
 しかし現実の東京は、連日の雨もあいまって重苦しい雰囲気に包まれていた。


 天気は人間の精神に強く影響を及ぼす。この数日、いつまでも止まない雨に溺れそうだった。青い空をくすべる雲には押しつぶされそうだった。このときの私はとにかく太陽を見たかった。なんという皮肉か。コロナをこの身に宿しておきながら、コロナを求めているなんて。


 2.5キロの道のりは辛かったが、私はあることで乗り切った。それは、自分を宮野真守だと思い込むこと。自分でもなぜそんなことをしたのか、正直理由はわからない。そもそも私は宮野真守のファンでもなんでもない。どちらかと言えばふざけすぎてる声優がいるな、くらいに思っていた。
 しかし数々のアニメを見てきた私には、確かに宮野真守という存在が量子レベルで刷り込まれていた。見たわけでもないのに、眼を閉じればなぜかアフレコスタジオでふざけまくる宮野真守が浮かんでくる。本当になぜだろうか。
『ンンーーンナァインズ様ぁ!』と叫ぶと、不思議と痛みが和らいだ。
 おそらく私の存在は痛みによって量子的に揺らいでいたのだ。パンドラズアクターのセリフを言うとき、私は宮野真守という存在だった。リケジョに厳しく訂正されたいと思う。
 
 そしてついに到着した。完全に宮野真守のおかげだ。もし会うことがあったら、そのときは御礼を言いたい。

 それにしても、と続けよう。もし私に呼吸器系の症状が出ていたら? 足腰が弱っていたら? もっと遠いところに住んでいたら? 検査スポットに行くのは無理だっただろう。これでは黙って公共交通機関を使う人もいるのではないか? あまり大きな声では言えないが、検査スポットまで公共交通機関を使う人を私は責められない。症状がありつつも遠く離れた場所に徒歩移動するのは本当にきついからである。高齢者や宮野真守がついていない者には到底不可能とも言える。もちろんどうしようもなければ救急車を呼べばいいのだが、この増え続ける陽性者数のなかで、みんながみんな呼ぶわけにはいかないだろう。それこそ医療崩壊だ。無料かもしくは保険の効くPCR検査を、普通のクリニックで受けられるように改善してもらいたいところだ。


 さて話を戻そう。検査スポットは大きな総合病院の敷地内にあった。もともとは駐車場だったのだろうか? 広いスペースにテントがいくつも設営されていた。


 最初のテントでは四人が検査を待っていて、私はまずある男に目がいった。そいつは足をだらしなく伸ばし、椅子にもたれるように座っていて、BALENCIAGAと書かれたキャップを目深に被り、腹にヴィトンのセカンドバックを乗せ、スマホゲームに興じていた。
 私が椅子に向かう際、そいつは伸ばした足を引っ込めようともしなかった。なるほどこいつは脳みそをおけまる水産に忘れてきたのだと理解した。そして心中で『お前のような乱倫野郎がコロナ様のお眼鏡にかなう訳がないだろう。陰性になりやがれ』と毒づいた。
 あわれ私はすっかりコロナサイドに堕ちたツネキン・スカイウォーカーだったのだ。そしてそんな私のフォースが通じたのか、検査を受けるのはなぜか私のほうが早かった。私はコロナ様に選ばれたのだと、脳みそおけまる野郎を尻目に見ながら、悠然と次のテントに向かった。


 知っている人も多いかと思うが、PCR検査は綿棒を鼻に突っ込んでぐりぐりとやるものだ。「痛い」「いや痛くない」などと情報は錯綜しているが、ここで結論を出そうと思う。

 痛い。

 コロナのせいで粘膜が腫れていることもあり、まあまあな痛さであった。もし次に検査することがあれば唾液での検査を希望したいと思う。
 そうして検査が終わると、最後のテントでこれからの流れを説明してもらった。
 もし陽性の場合、三日ほどで保健所から電話連絡が来る。陰性の場合は電話連絡は来ず、一週間ほどで手紙が到着するとのことだった。

 そして私は帰路についた。雨は一時的に止み、このとき私の容体も安定していたので、往路よりかは楽な道のりだった。


7月18日

 この日は前日よりも症状が悪化していた。痛み、倦怠感、消化不良からくる胸焼けのようなもの……
 私の場合(というか大抵の人はみんなそうであろうが)普通の風邪であれば、症状は出始めのときがピークで、あとは段々と緩やかになっていく。
 しかし今回は違う。この時点でなお悪化する、ということがあるのならば、この先呼吸器系の症状が出る可能性だってあるということ。これが恐ろしかった。その場合、数時間のうちに生命の危機に瀕することも少なくないというのは、くどいほど報道でやっている。
 私はそうなったときのため、いつ救急隊員が来てもいいように常に家の鍵を開けておき、スマホの履歴に119を控えさせていた。
 幸い、そこまでには至らなかった。はたから見ればなんと大げさな、と思われるかもしれないが、ウイルスの気まぐれに生殺与奪を握られているという恐怖は、なかなかに巨大だったのだ。

 
 さて、申し訳ないのだが、これから少し重たい話をする。
 この日、悲しいニュースがあったのを覚えているだろうか? 人気俳優が亡くなったのだ。
 どうして彼がそんなことをしたのか、彼にしかわからない。私なんかが想像するのもおこがましい。どんなに恵まれているように見えても、その人にはその人の地獄がある。
 だからその選択を愚かだとは思わない。命を無駄にしたとも思わない。ただただその意思に、私の手の届く範囲で寄り添いたい。
 私は死を完全にネガティブなものだとは思いたくない。全ての生物がやがて行き着くところなのだ。そこは本当に穏やかな場所のはずだ。いま苦しんでいることの全てが極楽の次元に熔けていき、生涯を通した幸せの全てが永遠の次元と融合するものだと想像している。そうでもなきゃ、やってられない。

 彼の親友の俳優が、生放送で辛そうに歌っていた。寝ながらそれを見ていた私は、とてもとてもとても暗い暗い暗い気持ちだった。実を言うと、私もこの五月に親友を亡くしていたから。(私の親友のことは、またいつか、書く気になれば書く)
 苦しい症状、親友のこと、辛いニュース、いつまでも止まない雨……この夜は窒息しそうだった。世の中の全てが、悲しいことに満ち溢れているようだった。
 そのときふと、頭によぎるものがあった。そして私はLINEを起動する。
 その目的は、親友との最後のLINEのやりとりを見ること。
 
 見た瞬間、私は絶句した。そして次には吹き出してしまった。

 説明するより見てもらったほうが早い。
 これは生前、彼が送ってきた最後から二番目のスタンプである……

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 いやすげーなおい。
 マジでコロナだったぞ。


 私も私で草など生やしている場合じゃない。自分だけは大丈夫、と思っているホラーの第一被害者のような返信だ。お前の二か月後なんだぞ。

 五月に、せめてもっと感動的なやりとりを最後にしろよ、と泣きじゃくりながら思ったものだが、こうして伏線を回収してくるあたり、なるほどやっぱり彼は天才脚本家だった。

(その彼、吹原幸太君は数々のドラマや映画の脚本を担当している。気になった方は観てほしい。おすすめは「劇場版ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん」だ。現在テレビ東京系列で毎週土曜9:00~放送されている「ウルトラマンZ」も彼がシリーズ構成と脚本を担当したものだ)


「なんだよそれ」
 私は笑いながらツッコんだ。
 ふっと体の内部で、なにかがゆるんでいくようだった。


後編超へ続く。次回最終回)


なんてことだ このおれが花束だと? いままでどんな女性にも花を贈ったことのないおれが……!