私の本棚について

22歳までのわたしのほろ酔いの帰り道は、いつもなぜか本屋に吸い込まれた。もちろん本当に吸い込まれるわけではなく、いつも飲んでいた都心から実家に帰る途中の乗り換え駅の中に小さな本屋があったからで、しかも遅い時間の乗り継ぎは悪く、なんとなく、本屋で時間を潰すからであった。その頃からだろうか、とりあえず読みそうな面白そうな本を見つけたら、買う、という癖がついたのは。まだそんなに本への執着もなく、仕事への繋がりもなく、ただ自身の好奇心や心地よさを満たすためのものだった。その酔っ払い本買いのおかげか、せいか、私の本棚にはなんとなく気になって買った、読んでいない本が常にあるようになった。それは、思ったよりも心地のいいモノで、なにか本が読みたい気がする、と思った時に自分セレクトのなんだか面白そうな本がすぐに手に取れる都合のいい本屋のようなものだった。そして、気分や関心、心持ちが変わり、ここに読みたい本がない、と思うと妙に焦りを感じ、また本屋で、これはシラフで、次々とこれから自分が読みたくなりそうな本を本棚に補充するのである。また、お金の都合や本棚の残りスペースなどを気にして、なんとなく本を買うことをセーブしていると、気がついた時には読みたい読んでない本が少なくなり、それもなんだか妙に焦って結局ネットや本屋で、これは今後読みたくなるかな、と探してしまうのである。特に10代の終わりに感銘を受け、自分にとってなんともするすると読め、入ってきやすい、自分に合った作家がいる。小説もエッセイもその人のものであればなんでもござれ、面白いのである。その作家の、読んでいない本、が本棚に少なくなると、いかん、とすぐにまだ持っていないものを探す。そろそろ最近はかなり古いものか、最新のもの以外揃ってしまいわざと新しいものを買わずにとっておいたりなどしている。
最近は仕事の一部として読むべき本、読まねばならない(のではないか)という本、(別に誰もこれを読んでいないなんて、読みなさい、とは言わないが)がある。それらは分厚く、大きく、大抵ハードカバーである。私の1番の読書スペースは電車や飛行機などの移動中であり、それらは持ち歩くには少々難儀であった。そのため結局、外用の趣味に近い文庫本群の減りが早く、仕事の分野を育てるハードカバー群は自宅のソファーで時間のある時、又は現実逃避する時の読み物になってしまった。わたしとしては、できれば中身の関係を逆にできるといいのだが、物体として動かせぬ行動との関係にどうも少しどうすればいいのかわからない。これは今後の課題である。
というわけで、ここ数日前に文庫本群を補充したばかりなのだが、今日仕事関係の人との話に出てきた本がどうも面白そうで、結局大きな本が数冊、ネットショップのカートに入っている。これらは安くない。しかし悩んでいる間に買えなくなったりもするもので、早々にいつでも読めるように本棚にいれておくのがいいだろう。そういって、わたしは趣味の延長のような、仕事の為という口実のできたお高めの本たちを本棚に増やしているのである。

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