第10回「食べる」を取り戻す

祭と食事

先日、川越のお祭りに行ってきた。開催は三年ぶりらしい。
友人の弟に山車を引かせてもらったり、クラフトビールやジンを飲みあるいたりと良い体験になった。感染対策の混雑予防のためテキ屋が出ていなかったので比較的歩きやすく、地元の店が潤っていてよかった。

幼い頃、母方の実家がある町のお祭りに毎年行っていたので、その頃の(恐ろしいことにもう十年以上前だ…)祭の記憶が呼び覚まされた。今回は祭と結びついた食べるについて思い出していく。

カツオの半身

祖父が氏子総代を長く勤めていたため、おまつりの間祖父母の家はものすごく忙しかった。女性たちも婦人会ということで、神輿の休憩所で出す料理を総出で作る。

祖母は祭礼の時は決まって「いつ誰が帰ってきてもいいように」とカツオの煮つけを大量に作っていた。小学生の僕は近くのスーパーにお使いに行って、店頭に出ていない半身を鮮魚売り場の人に行って切り出してもらった。

スーパーでは、カツオの切り身というと大抵サクか既に刺身になっているものが多いので、そのときだけずっしりと重い半身を抱えて帰るのだが、自分にとってそれはお祭りの重みだった。

祖母が作る煮つけは冷めてもおいしく、祭に出るとたいてい露店でじゃがバターやら中華おやきやらベビーカステラやらを食べて帰ってくるのだが、それから白米と一緒に食べていた。

塩おにぎりと豚汁

婦人会の炊き出しには、祖母や母、叔母が総出で入っていて、神輿連中の奥さん達が威勢よく声を掛け合いながら大きな寸胴鍋で豚汁を作ったり、これまた大きな炊飯器で炊いたご飯をドンドコおにぎりにしていったりという有様で、そこには男達を寄せ付けない気迫があった。

僕はそれを休憩場のテントまで運ぶ手伝いをやっていて、一段落着くと自分も食べることができた。

神輿を担いで練り歩いてきた男達が食べるので、おにぎりは結構塩気が強い。ごはんはつやつやとした新米でその白さみずみずしさには祝祭感があった。梅やツナが入って海苔で巻いているものもあったが、僕は海苔もまかずに塩だけで握っているのが好きだった。

豚汁は、大量に作っているのに具沢山で、さながら煮物の様相を呈していた。今思うとあんなに景気のいい味噌汁は無いと思う。豚肉もサトイモもゴボウもゴロゴロしていて、煮ている半分溶けてしまったニンジンも甘くておいしい。

来年こそは

他所から来た有志でも神輿を担げる会があるので、来年こそそこに入って祭に出、祝祭の食べ物を腹いっぱい食べたいと思っている。

ただ、最近は町内の高齢化、婦人会もなかなか人手が集まらず、炊き出しの料理はどんどん仕出しに変わっているとも聞いている。

僕の記憶の中にある祭の食べるはもう過去のものになっているのかもしれないな。