自信を取り戻す「自力と他力の相互作用」

「自力(本願)」とは、修行によって悟ることであり、「他力(本願)」とは、委ねることによって救われることと、一般的には言われている。

世間的には、この二つは相反する。
しかし、仏教の教えは「中道」であって、それらを乗り越えることである。

ここで、「自信」について、この自力と他力の概念を使って考えてみたい。

この自力を「自由意志」。他力を「運命」としてみることもできる。
ちなみに、仏教ではどちらの意見も退けられる。
「自由意志」でもないし、「運命」でもない。

自信とは文字通り捉えると、「自分を信じること」とである。

そこで、「誰か信じるのか?」と問うと、「私」だ。
すると、ここには、信じる私と、信じられる私の二者がいる。

信じる私は、意志を持って主体的に信じる。つまり、自力。
信じられる私は、あくまで受け手であって、受動的なため、他力。

つまり、自信を持つためには、私が信じると「決める」ことと、信じられることを「受け入れる」ことの二つが必要になる。

自分を信じるための方法に、よく二つのことがあげられる。
一つは信じようとするのではなく、信じると決めること。
もう一つは、信じることを受け入れられるように、小さな成功体験を積み上げていくこと。

決めるとは、内から外へ。
「私→あなた」
受け入れるとは、外から内へ。
「あなた→私」
二つが重なったところが、「私とあなたの中間」であり、「内(非二元)」となる。

そうして、信じる私と、信じられる私が一つになる。
これは、「与える」と「受け取る」でも、「愛する」と「愛される」でも、同じ力学が働いている。

これが「内と外の相互作用」であり、それを超えていくのが「中道」である。

もっと具体的な方法論としてみてみよう。

そこでまず問うのは、「なぜ自信のことを気にするのか?」ということだ。

それは、なにか揺らぐことがあったから。
自信があるとは、「私には自信がある!」ではなくて、自信があるのが、当たり前で、そんなこと気にしてないときだ。

そうすると、「自信」とは獲得するものというよりも、取り戻すものであり、思い悩むことから離れることだ。

しかし、忘れようとしても忘れられない。

では、どのようにするか?

それは偏りを無くすことだ。
囚われを外すこととも言える。
見ないようにするのではなく、ありのままに見ることだ。

そこで、この「決める」と「受け入れる」をさらに二つに分ける。
それは根拠があるか、ないかだ。

1. 根拠なく決める→「決心」
2. 根拠をもとに決める→「決定」
3. 根拠なく受け入れる→「信頼」
4. 根拠があって受け入れる→「信用」

この根拠があるとは、「過去」のこと。
根拠がないのは、「未来」のことでもある。

言い換えると、以下のようになる。

1. 未来どうするか決心する
2. 過去のことをどう捉えるか決定する
3. 未来起こることを信頼する
4. 過去に起こったことを信用する

これらのバランスが取れているとき、問題から離れ、失ったものを取り戻せる。

そのために、必要なことは「注意深さ」であり、どこにも偏らずに全体に「気づく」ことである。

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