第三部 四.「霊的な気晴らし」

これまでブレイクスルーがあると、その直後は認識の転換を色濃く体験しました。しかし、それはあくまでも体験(現象)であって、(この世界と同様に)想念によって形作られたものです。
そして、その後、蓋で抑えられていたもの(潜在的傾向)が解放されて、一気に噴き出してくるという経験をしてきました。

私は、「空」に翻弄され、想念を縛りつけておけるようなものを探しました。
それが、いわゆるスピリチュアルな書物でした。それらは多くの場合、想念(イメージ)の不可思議さ、深淵さ、神秘さが書き記されていて、そのときの私には気晴らしにちょうどよかったのです。
現実的(物質的、社会的)なものには、ほとんど興味が持てなかったのです。

ときどき琴線に触れるようなものを見つけると、ハッとして勇気づけられることもありました。

そうしていると、そういった本に書かれている体験をするようになったのです。
意識が四つに分割され、モニターで同時に見ているようになったりしました。この地上にいる肉体的な意識(自分)で空を見上げると、空に漂って地上を見下ろしている意識(自分)と目が合って、なんとも言えない不可解な感じがしました。
頭の中に自分のものとは異なる声のようなものが聞こえて会話をしたり、霊的な存在(宇宙人、天使、仏像、龍、精霊など)が浮かんでくるに任せて、それによって生じる光や感覚を楽しんでいました。
睡眠時間がとても長くなり、夢も鮮明に、壮大に、意味深になり、目覚めたときにハラハラと涙を流したり、ウトウトしていると啓示かと思われるような眩い言葉が下りてきて飛び起きたりしました。
また、目覚めていても寝ていても意識が続いているような感覚になったりしました。

あるとき、どうにも思考がしつこく浮かんでくるようになりました。それは、魅力的な内容で、つい引き込まれそうになります。自分は悟ったのかと思ったりしたほどでした。
しかし、妙な違和感があります。そのとき僧院にいたため、誰にもそれらを話すこともなく、ただじーっと眺めていました。
あるとき、ふっと意識が軽くなって、気づいたら自分が高笑いしていることを自覚しました。
まるでピカピカ光るテーマパークの中で浮かれていて、冷静になって見たらそれはハリボテであって、裏側を覗くと乱雑で見るに耐えないものだったような感じでした。
そのとき、ギョッとしました。
まるで、思考を乗っ取られていたような感じだったのです。
魔に憑かれていたのでしょうか。

そのとき思考は、内容がとても立派で、納得できるものでした。しかし、言葉自体がおかしかったのです。
例えば、「良い」ことと「悪くない」ことは意味としては同じです。しかし、概念の振動数(意識の周波数)としては全く異なります。一方、「良い」ことと「良くない」ことは意味としては異なりますが、振動数は同じです。
その感覚で言えば、「平和」であれば良いですが、「戦争反対」には問題があります。

私たちの思考の背後には、より微妙な印象(潜在意識)があります。インドには「汚れた布を染めても美しくならない」という諺がありますが、印象が思考に反映されます。しかし、思考は作り出す(印象を隠す)ことができるものです。
汚れた布を綺麗にするためには、汚れを浮かび上がらせて取り除く必要があります。この印象が綺麗に澄んでくると、自己の本質がはっきりと現れてきます。

そのようにしばらく想念(イメージ)で楽しんで過ごしている内に、そういった外(想念)ではなく、自己の「内」へ引き戻されるような不思議な体験をすることになりました。

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