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#7 あの日から

流産の診断を受けて1週間。
子宮が回復しているか確認するための検査をしてきた。
出血は既におさまり、順調に元に戻っていくとのこと。
まだ病理検査の結果報告が残っているけど、これで今回のことはひとまず終わったんだと、一区切りついた気がした。

気持ちがどん底へ

でも病院を出て、息子とも合流し、青空の下で家族と過ごしていると、自然と気持ちは立ち直っていった。

前回の日記で、流産診断直後の心境をこう書いたが、気分が立ち直ったのは当日のみで、翌日からみるみると気分が落ち込んでいった。

流産の予後に加えて処方された薬の影響で出血量が多く、腹痛を伴っていることも大きな要因だろう。
つくづく体の健康とメンタルヘルスはつながっていると思い知らされる。

母体のせいではないと医師から言われたが、なぜ流産してしまったのかという疑問が消えることはない。
自ずと妊娠が判明したときの喜びを思い返してしまい、反動で深い悲しみに陥ってしまった。
誰にも会いたくないし、話したくない。
ザ無気力。
夫に日に何度か「大丈夫?」と聞かれて、毎度うなずくのが面倒だった。
夫も悲しんでいるし、わたしを心配して声をかけてくれているは理解できるが、とにかく会話のキャッチボールをしたくない。
同じ家にいるにも関わらず、息子の送り迎えを頼む際も、LINEで伝えた。

だからといって悲しみを表に出すことが苦手なわたしは、どこかで強がっていた。
他人に会うことはほとんどなかった数日間だったが、家の中でも平然としたふりをしていた。
泣いても赤ちゃんが戻ってくることはない。
悲しみに打ちひしがれてる場合ではない。
気丈でありたい。
そう思い込み、本当の気持ちにふたをして、日常生活を送っていた部分が少なからずあった。


でも悲しみが溜まっていくコップは、いずれ満杯になり溢れる。
ある朝、呑気にしている夫を見て、「この人はもう何も気にしていないのか」と勝手にがっかりしたわたしは、怒りをあらわにした。
そして気づいたら涙がボロボロ出ていて、ギョッとする夫の前でワーワー泣いた。
しばらく泣き続け、少し休んでいると、息子の幼稚園が終わる時間が近づいていた。
久しぶりに迎えに行ったわたしは、他のお母さんと会うのも1週間ぶりだった。
流産後の体調不良で、幼稚園のお母さんとの約束をドタキャンしてしまっため「体調大丈夫?」と聞いてくれたお母さんがいた。
ここで隠すのも嫌だなと思ったので、流産したことを話した。
するとそこでも泣いてしまった。
家族以外の前で泣いたら余計気を遣わせてしまうし、不本意だったけど、冷静かつ客観的に話す準備ができていなかった模様。
みんな優しいから、励ましてくれたり他の楽しい話をしてくれたりして、その日は分かれたけど、泣くのは禁物だなと猛省した。
でもこの日に夫と友達の前でドバッと泣いたからなのか、流産のことを話せたからなのか、少し気持ちに整理をつけられた気もした。

悲しみと付き合い続けていく

この日以降、落ち込む瞬間も少しずつ減ってきて、こうして日常を取り戻していくのだなーと感じている今日この頃。
今回のことで痛感したのは、悲しみなんて乗り越える必要はないということ。
うまく付き合っていけばいいのだ。
私の場合だけど、ものすごく落ち込んでしまったのであれば、気持ちを吐き出したり、言葉に変換したほうが、心が楽になる。
流産の話題を避けることもあまりしたくない。
楽しい場で話すつもりはないが、自分が大切だと思う人には実体験として伝えていこうと思っている。

よく流産直後は妊娠中の他人を見るのが辛いという話を聞くが、幸いわたしはそのような気持ちにはならなかった。
わたしと同じ境遇の人、つまり2人目を妊娠してる女性に目はいくが、そむけようとは思わない。
どうか母子共に無事に妊娠と出産を終えられますように。
ただそう願うだけ。
今回のことで最も学んだのは、息子は奇跡のもと産まれてきたということだろう。
息子を妊娠してるとき、つわりはひどかったが、ほぼトラブルはなかった。
安産で産まれたあの日からもうすぐ4年経つが、健康体そのもので毎日遊びまわっている。
いまわたしが送る当たり前の日々は奇跡同然だということを、流産を経験して改めて感じた。
病院での検査を終え、身体的には一区切りついたが、気持ちに区切りをつけることはできない。
この悲しみと向き合いながら、徐々に前を向いていけばいい。

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