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2020年8月 春野亭日常 水城さん見守りフェスの記録 その1

2020年が終わろうとしている。今年忘れられないことの1つとして、私はすべてが”足りる”日々、なに一つ過剰でなく、すべての”ピース”がピタリとはまる時間を10日間あまり体験した。私の言葉でいえば、それはまさに、いまここに”天国”が存在すること、”神の国”がすでに始まっていることの真実の体験だった。

この夏、私たちの友人、水城ゆうさんが地上のいのちを終えて旅立った。その旅立ち前の最期の日々が図らずも、フェスになった。フェス、祭り。なぜかその日々を記録することが、私のすること、したいことでもあった。日々フェイスブックに綴ったその記録をここに再掲して残すことにする。

8月4日から8日の記録 祭りが自然発生的に始まった頃

8月4日から、春野亭で24時間、ヘルパー体勢に入っています。
まあ、野々宮 卯妙 (Utae Nonomiya)こと、万里ちゃんが書いているように、ある種の”フェス”ですわな。
手書きで書いている日記帳がすっかり途絶えているので、ここにメモを残します。ここ数日の春野亭の動きが少しでも伝われば。

4日、とにかくしばらく国立泊まりになることを見通して、母を午前中に医者につれていき薬をもらう、食事を数品作り置き、冷凍食品などの指示をして、夕方に国立・春野亭に移動。万里ちゃんに夕食をつくり、夜はクローズドの共感サークルを春野亭からホスト。
この日は泊まり。水城さんはこの夜まで自力でなんとかトイレに行くが、途中で倒れること数回。また、1時間ごとにトイレに行くため、万里ちゃんほとんど寝る時間なし。


5日はお見舞が千客万来。映画監督の伊藤さんと俳優の扇田さんが偶然同じ時間帯に登場。そして、扇田さんが水城作品を読むと、水城さんは合わせてピアノを演奏、コラボ。
この録音中に訪問看護チームが来たので最初は階下で応対。トイレ頻度が増えていること、転倒のことを伝えると……この日からおむつを使用することになり、ドラッグストアに買い物へ……などなど、ヘルパーさんらしい仕事をして満足笑。
夜は、「Atlya聞く・聴くカフェ」を春野亭からホスト。(この日の夕食は冷製トマトのスパゲッティ生ハム入りをつくって万里ちゃんと食す=まあ、万里ちゃんはあまり食べられず。トマトなど夏野菜の差し入れもたくさんあって、美味しくいただいております。)
終わってから、事務仕事をして12時すぎにねる。
この夜は水城さん、あまり不穏にならず、私も深い眠り。


6日。原爆忌。午前4時頃おきて、三鷹(自宅)に向かって自転車で移動開始。5時25分に到着して、5時30分から朝ヨガに参加。ヨガクラス終了直前に万里ちゃんから緊急連絡があり、タクシーを呼び、到着までにシャワーを浴びて、とにかくよくわからないけど着替えをたくさん詰めて、朝7時に、国立にトンボ返り。私が到着する前に隣駅に住む、
北原 葉子こと葉っぱさんが到着していた。そして容態は、予断は許さないけれども、いったん落ち着いていた。


市谷 理子ちゃんも自宅から、電車で国立に向かってくれている。これで万里ちゃん+2の体勢ができて、ひとまず安心。
そして、この日のお見舞いは……まずは、韓氏意拳の師範の内田さん。それから、音読療法仲間の大間 哲 ことくまちゃんと妻大間 宏美 ことパンダちゃん(大間夫妻)。彼らと入れ違いに、音楽家でありアレクサンダーテクニーク教師の海津賢くんとOMGのみおさん、NVC仲間の安納 献ちゃん、鈴木重子さん。海津賢くんは、水城さんの音楽制作をサポートしている友人でもある。https://www.youtube.com/.../UCzlIDQntNzy2TGP2kIX.../featured

彼らが来て、水城さんピアノを弾きたいとピアノの前に座るが……手を載せてもキープできず。万里ちゃんが「しげちゃん、なにか歌って!」と。というのも、その前日は朗読が始まると期せずして、みずきさんがそれに合わせて即興演奏を始めたから。
重子さんが、誘うように即興的に声を響かせる。水城さん、何度か弾こうと手を鍵盤の上に載せるが崩れ落ちる。それでも万里ちゃんが諦めずに「しげちゃん歌い続けて、何か歌って」とのリクエストに、重子さんが「アメイジング・グレイス」、献ちゃんと一緒に「浜辺の歌」、「 if you wish upon a star」を歌ってくれた。
水城さん「気持ちいい!」とハッキリと。そうだね、気持ちいいね。ただし、ピアノ演奏はできず。


海津賢くんのおみやげのスイカを万里ちゃんが口元に持っていくと、吸い付くように数口食べる。食べても吐いて体力失うだけ。そうわかっていても、食べる姿を見るのはうれしい。(そして、その後案の定吐く)。
夕方には再び、葉っぱさんが静かにあらわれて、一緒にいてくれた。

この日はもう私たち何を食べたのか覚えていない。
いただいたチーズケーキなどで生きていた。ありがたし。
とにかく、夜を徹してのみまもり、看病、おむつ替えなどに人数が欲しい。安心したい。
長田誠司さんは、翌日朝に来る予定だったが私たちの要請に急遽予定変更して、真夜中ごろ来てくれることに。


6日から、吐くものが食べたものや水ではなく、胆汁を含んだ深緑の生臭いニオイのものになる。ときおり、「あ〜、あ〜」「んー、んー」と苦しんで、ゴボゴボと出る。タオルで受けては、石鹸で手洗い。シーツも汚れてなんども替える。着替えも。
理子ちゃんがすごいのは、タオルやティッシュ、バケツが間に合わなくても、まったく動じず「はい水城さんどうぞ〜♪」と歌うように素手を差し出すこと。そうか、それでいいのか! 
おむつ替えは難しい。3人がかり、いや苦しんでいる本人も含めて4人で協力してやるのだが、一度替えると皆汗だく。


万里ちゃんは夜8時から3時間ぐらい眠る。
この日は昼間もお客さんがたくさんで忙しかったのに、水城さん夜も落ち着かず不穏。何度も何度もベッドに腰掛け、手を組んで、その上に額をつけて腰を折った体勢になりたがる。傍から見ていると、とても苦しそうなのが、本人としてはそれが一番楽なのか。介護人の私たちは、何度も何度も、足をベッドの上に戻す。理子ちゃんが抱きかかえながら、少しずつ、少しずつベッドの背を倒していくと……、横倒しながら8ヶ月ぶりぐらいに、からだを横たえることが可能に。
だが、動き続ける水城さん。本人も短時間しか休まずに朝を迎える。
夜半すぎ誠司さんが到着し、体勢変えなどに力を発揮してもらう。理子ちゃんは徹夜で介護。私は耐えられず、真夜中すぎから仮眠。


7日朝。理子ちゃんは始発の次ぐらいの電車で帰る。早くに葉っぱさんがくる。朝9時、すでに猛暑。訪問看護の方におむつ替えやシーツ替えのコツを教わる。麻薬の針を取り替える、着替え、そしてヒゲを整える。
介助のために、壁につけているベッドを動かすので、ベッド業者の人もくる。とにかく、訪問看護のチームの皆さんの笑顔、明るさ、軽味がありがたい。ほんとにサービスを受ける方になるとこういうの、染みるな〜と思いつつ、同じく訪問看護・介護の仕事をしている友人たちにも、心の底で感謝する。


訪問看護とほぼ入れ違いに、滑川直子さんがヘルパー陣に加わるべく登場。たくさんのタオルを使い捨てのウェスとして持ってきてくれるなど、頼もしい!
水城さんは、訪問看護の後は、ほんとうに静かにすやすやと深い眠りに入ったよう。
この日のお見舞いは、古くからの万里ちゃんたちの役者仲間の石村みかさん、羽根木時代の料理人三木真理子と6歳のイクオくん。私は昼過ぎに誠司さんに送ってもらって、一端自宅に帰る。家に戻って、老母とネコの無事を確認する。食事の指示と準備、ふとみると庭の菜園が数日間で茂ってジャングル状態。留守中に階上に住むアニキが水を遣ってくれていた。
成り終わったトマトを片付け、終わったかと思ったきゅうりが息を吹き返してたくさん実をつけているのを見て、嬉しくなる。母が桃をむいてくれる。
冷房の部屋で少し涼んで、4時半には再び家を出て今度はバス&電車で国立へ。

戻るとお香の匂い。万里ちゃんが真理子からテルミーの施術を受けていたらしい。少しはリラックスできただろうか。
私自身は、少し熱中症気味なのか頭痛がして、横になる。夜に羽根木ミツバチ部のえみちゃん現る。が、私はほとんど寝ていて、お話もできず。


水城さんの苦しそうな声がして、目を覚ますと、直子さんが水城さんを後ろから抱えて、「ゆっくり呼吸しますよー。吸って、吸って〜、吐いて、吐いて〜」と。声をかけている。今年はじめにお父上をご自宅で看取った直子さん、背中に耳を当てたり、胸に手をおいたりして脈を数える。聞けば、痙攣して、呼吸が止まりそうになっていたとのこと。
空気のチューブ、嫌がるので外していたが、再び装着して流量をあげる。しばらくして、痙攣が静まり、呼吸ができるようになってきた。まだ浅く、早いと直子さんがいう。足をさすりながら、胸、おなかから目が離せない。まぶたが閉まらず、白目が見える。足をマッサージしながら声をかけ続ける。


こんなシリアスな状況なのに……私たちったら「今、ベッドの斜め上あたり?」「それとも、まだオレはからだにいる、って感じ?」「ひかりのトンネル見えた?」「見てもいいけど、かえって来てね」「帰ってきて、これをネタに小説書くんでしょ?」「水城さん、自分の体験こそオリジナルって言っていたよねぇ……」😁😁😁


しばらくすると、鼻水や粘り気のある痰が出てくる。胆汁も吐く。力が少し戻ってきて、水城さん、自力で「ペッ、ペッ」と。途中でおむつを交換する。コツを直子さんに教えてもらう。水城さん疲れたらしく、またおなか痛いと言うので、レスキュー(麻薬の増量)を一回。
少し静かになってきて、私は横になる。目がさめたら、直子さんが寝ずの番。最初は、翌日(8日)仕事があるから泊まれないと言っていた彼女だが、予定変更して夜中に居てくれたおかげで、急を脱した。
それにしても、緊張した、長い夜だった。


そして今日、8日。直子さん5時に帰る。6時前に葉っぱさん来る。静かにたくさんの洗い物をしてくれました。理子ちゃんも7時ごろ登場。まりちゃん食事が炭水化物に偏りがちになるので、私は朝から豚肉舞茸ブロッコリー炒めを作ってガッツリ食す。
昨晩、あれだけヤバかった(と思えたのだが)、水城さんの様子がなんだか少し、回復傾向。おむつ替えのとき、まりちゃんにつかまりながら立ち上がってくれたので、いままでで一番楽に、そして美しい連携プレーで交換終了! 


10時すぎに、仕事で上京中の廣田 瑞貴 (廣田瑞貴)瑞貴ちゃん登場。春野亭の雨漏りについて、地元の工務店と連絡をとって確認作業をすすめてくれる。理子ちゃん洗濯、私は午前中は休む。
水城さん、なんだか目がしっかりと合う回数が増え始める。
理子ちゃんが口まわりを拭いていたら「理子ちゃん」とハッキリ呼んで、「ありがとう」と。


まりちゃんがヘンデルをかける。これまで音楽を聴くのも、「いらん、いらん」という様子だったのに、メサイヤが最高の盛り上がりで終わると「素晴らしい!」「何度でも聴ける」と。気を良くした万里ちゃんがバッハをかけると、「これはダメ」と。好みが厳しい。


あいかわらず、痰が詰まって、苦しんでいるが、「ペッ」と吐き出す力が強くなってきたように思える。そして時折の言葉も、昨日、一昨日よりもハッキリと。でも、でも、苦しい。ああ、辛い、とも言う。
「時間を忘れた」「やばい、時間、時間」とか。
「やっと、目が覚めた!」とか。

差し出すと経口補水液を力強く吸う。
もちろん、予断は許さない状況は続いています。浮腫はますますひどく、上半身は骨と皮。それでも……。
水城さん、私たちのドタバタ介護を受け入れてくれてありがとう。
なにか言えば、「辛い?」(と万里)、「悲しい?」と私、「ちがうよ、楽しいって言ったよね?」(と理子)、「だれも、翻訳できてへんやん」(と瑞貴)……いまここをみんなで笑いながら生きています。



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