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松本薫さんに学ぶ「好きじゃないといけない」という違和感からの脱却

こんにちは。行政書士の阪本です。
『1月は行く、2月は逃げる、3月は去る』とはよく言ったもので、あっという間にもう3月です。

ちなみにこの言葉は、イベントの多い正月から3月末までの期間について、時が流れるのを速く感じてしまうことを表現したものです。

ネットで検索していると「そのあと(4月)は?」と気にされている方が多数いるようなので、そんな知りたがりの皆さまのためにここで特別にお教えします。

私は4月が誕生月です。ちなみに同日誕生日の有名人はゴーダマ・シッダールタさん(釈迦)です。

(Wikipedia「釈迦」より転載)

さて、お釈迦様に詳しくなっていただいたところで、次は「野獣」さんのご紹介です。

(Wikipedia「松本薫」より転載)

松本薫さん。2012年ロンドン五輪柔道女子-57kg級金メダリスト(2016年リオデジャネイロ五輪柔道女子同級銅メダリスト)、世界選手権優勝2回、日本が誇るアスリートのひとりです。

女性に「野獣」はどうなの?というところではありますが、ご本人も気に入っておられるようなので、ここでも遠慮なく使用させていただきます。

もちろんお会いしたことはないので、メディアから受ける印象や、ネットの情報を基に人物像を推測していくしかないのですが、いやいやどうして、Wikipediaだけでももう既にかなり面白い。「破天荒」(前代未聞)という言葉が実にしっくり馴染む生き様だと思います。

あ、ちなみにこれは純度100%、最高級の褒め言葉です。

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さて、Wikipediaによると、氏は高校2年生の時点で既にインターハイで優勝されています。

高校2年になると57kg級に階級を上げた。8月にはインターハイに出場して決勝まで進むと、道場の1年先輩でその年の世界ジュニアで優勝することにもなる津幡高校3年の広村麻衣を判定(3-0)で破って優勝した。

2年生でインターハイ制覇ですから、普通に考えて3年生では2連覇を目指すべきところでしょう。
ところがインターハイ(8月)の直後、氏が取った行動が次のとおりです。

しかし、三井住友海上と合同で練習する藤村女子高校の練習方法が肌に合わず、また、東京の生活が馴染めなかったこともあり、高校2年の10月には郷里の金沢学院東高校に転校することとなった。

急展開です。恐らくは色々とあったり考えた末の行動であることは間違いないのでしょうが、高校2年生の時点でこの決断を自ら下すことはなかなか出来ることではありません。
どちらかと言えば保守的な意見の多かったであろう当時の柔道指導者層からしてみれば、「けしからん!」となりそうなところですが、氏はそれを高校2年生でやってのけたわけです。

これにより、高校3年の時は全国高等学校体育連盟の規約でインターハイには出場できなかったものの、9月の全日本ジュニアでは、決勝で大阪工大高校1年の牧志津香を横四方固で破ったのをはじめ、オール一本勝ちして優勝を果たした。

経歴にはこのように続きます。インターハイ2連覇を捨て、上級カテゴリーの全日本ジュニアで優勝されています。いや、純粋に素晴らしい。

実は私も末席の末席、そのまた末席の座布団カバーくらいの位置ではありましたが、学生時代は氏と同じように柔道に励んでおりました。

同じような環境に身を置いた方であればお分かりいただけると思いますが、その頃監督や上級生は絶対的な存在で、その意向に逆らうなんてことは、まったく考えにありませんでした。

情報が一方通行の上、当事者でもないので実際のところはよく分かりませんが、この決断だけでも並大抵の人間ができることではありません。

三井住友海上といえば女子柔道界では名門中の名門ですから、高校生が一緒に練習できる環境なんて、はたから見れば最高の環境のように思います。

それでも合わないものを「合わない」と判断して環境を変え、それ以上の結果を残すわけですから、まぁ実に爽快です。
まだ高校生のうちからこの人生濃度ですから、氏をあまり知らなかった方にもその一端が伝わってきたのではないかと思います。

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ところで、畏れ多くも私ごときがこのような記事を投稿しようと考えたのは、以下の記事を目にしたからです。

(Yahoo!ニュースより転載)

そう、氏はいまや柔道から完全に身を引いてアイスクリーム店を経営されています。
これまた金メダリストのセカンドキャリアとしては異色中の異色ですが、私が衝撃を受けたのはそこではなく、引退時に氏が語っていた次の言葉です。

「実は柔道が好きではなかった。」

何と!座布団カバーとはいえ、同じく柔道に勤しみ勝手に親近感を覚えていた身としてはまずはショックを覚えました。

私が同じ立場なら、「柔道を愛しています!」だとか「これからは柔道界に恩返しをしたいです!」だとか優等生的に発言してしまいそうなところです。

あ、ちなみに柔道をしていたことは本当に誇りに思っています。座布団カバーのくせに。

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しかしまぁ当初はショックだったものの、読み進めていくと共感しきりの内容でした。

「好きこそものの上手なれ」は間違ってはいないとは思いますが、これが転じて「好きじゃないといけない」空気になっている今のビジネス界隈の風潮には私自身も少々息苦しさを感じていました。

「好きを仕事にする」というのは一見して理想の働き方のように感じます。私なんかは元より独立志向が強く、自らの意思で進んで独立したクチですが、「仕事は好きですか?」と質問されたとき、「ハイ、好きです!」と100%の本心で即答する自信はありません。

SNSを眺めていると、毎日のように「仕事が楽しい!」とか「やりがいがあってこそ仕事だ!」というような投稿を目にします。

そんな時、「いや、そんなことばっかりと違うで。。。」とTwitterをそっ閉じしてしまうことが増えてきたのも、私がSNSから距離を置くようになった理由のひとつです。

私の社会人としてのファーストキャリアは整骨院でしたので、野球選手、力士、競艇選手、ジョッキーなどのプロアスリートとも多く接点を持ちました。ケガからの復帰を目指す姿には鬼気迫るものがありましたが、そのすべてが「好き」だけで続けているのかといえば、決してそんなことはありませんでした。

いや、元々は好きだったのかもしれません。ただしそこは人間ですから、途中で好きでなくなってしまうこともあるはずです。

そう、熟年夫婦のように。

実はお母さんが認知症になって崩壊してしまった家族関係が、お母さんがグループホームへ入居することで修復することがよくあります。
これは家族間にほどよい距離感が保てるようになり、外部から俯瞰してお母さんのことを考えることができるようになった結果であるように思います。

話しを戻すと、氏が記事内で触れているように、「好きじゃない」ことを俯瞰して覚知するようになった結果、氏の状況が好転したこともこれと通ずるのではないかと思います。

いずれにせよ、好きだとか嫌いだとかの感情論から開放されて目的意識をはっきりと持てたことが氏の成長を促す大きな要因となったことは間違いなさそうです。

ただ、何だかんだ紆余曲折を経て、結局は自分の「好きなこと」を仕事にしてしまった氏の決断力にはやはり頭が下がります。

無理して気張らんでもえーんやで?

私が氏から受け取ったのはこんなメッセージです。いや、分かりませんけど。
あと、氏は関西人ではありませんが。

さて、最後になりましたが、松本薫さん、勝手に記事にしてしまって申し訳ありませんでした。
もし本稿を目にされる機会がありましたら、ぜひとも対談してください。

その際は上質な座布団を用意して一同お待ちしております。

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