キルミーベイベー

こんな年の瀬に書くような話ではない話。

ちなみにアニメは見たことがなくて、タイトルはsunny car washの曲のサビです。


数年前、「紀州のドン・ファン」なる資産家が自宅で不審な死を遂げ、最近50歳以上年下の元妻が逮捕されたという報道が話題になったが、その事件が話題になっていた時、世の中で自分だけかもしれないけど、「殺された資産家は愛する人に殺されて幸せだったんじゃないかな」と感じた。

理由がいくつかある。
人はいつか必ず死ぬということ。
どうせ死ぬなら愛する人と同じ空間で死にたいこと。
自分が死んだあとに愛する人に幸せになってほしいこと。
病気で苦しんで死ぬよりは直前まで元気なまま死にたいこと。
そして、長生き自体が目的ではないと思っていること。
などなど。

愛とは見返りを求めない感情であるはずだから、自分が愛した人が、本当は自分のことを愛していなくたってよい。愛とは能動的で自分勝手な感情だ。
自分が相手を愛しているからって相手にも自分を愛することを求めるなんて、ドルヲタの風上にも置けない。
だから、本当のところは知らないけど、この50歳以上年下の元妻が、最初から遺産目当てで殺すつもりで結婚したとしても、資産家側の愛が嘘であったわけではない。

そして、これも本人にしかわからないけど、本当はその真意や殺意に気づいていたけど、その元妻を心から愛していて、愛する人の幸せのためなら殺されてもかまわない、と思っていたかもしれない。もちろんそうでないかもしれないけど、そればかりは死んでしまった本人にしかわからない。

また、報道によれば、77歳であった彼は脳梗塞を繰り返し体が不自由であったそうだ。もちろんこれもまた本人にしかわからないことだけど、再梗塞でさらに体が不自由になったり苦痛を感じたりするくらいなら、いま死んでしまいたい、と感じたとしても不自然ではない。その立場になってみないとわからないことはたくさんある。

多くの人が長生きを望むだろうが、そのほとんどの人は、無意識に、元気なままで長生きできると思っているように思う。
当たり前で残酷な事実として、長生きすれば幸せになるわけではない。


もし日本で安楽死というものが認められて、それを自分が受けるとして、(そんなものがあるのかは知らんが)安楽死させるスイッチを誰に押してほしいか聞かれたら、自分は即決で妻に押してほしいと答える。
本当は自分で選んだ死なんだから自分で押すのが筋だと思うけど、そこは最期のわがままで、この世で一番好きな妻にお願いしたい。
正直、それを想像しただけでけっこう幸せな気持ちになってしまう自分はおかしいのだろうか。


こんなことをあれこれ考えていると、自分がその立場だったとして、けっこう幸せな死に方なんじゃないかなと思ってしまうのだ。

もちろん、残された親族や知人にとってはきっと不幸なことだろう。そこは全く否定する気はない。
ただ、本人が「不幸」で「かわいそう」かどうかは、実際のところわからないし、それを周りが決めつけたら、それこそ本人が気の毒だ。


愛する人に殺されたい、とまでは思わないけど、愛する人に殺されるのは悪くない死に方だな、とは思う。
でも、できれば、自分が気づかないうちに、苦しまない方法で、そして、足がつかないやり方を選んでね。自分が死んだ後にあなたが幸せになってくれなきゃ意味がないんだよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?