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ため息、風に溶けて

春はやっぱり春の歌を聴きたくなるね。
ズーカラデルは大好きなひとが教えてくれたバンドだけど、好きな人が好きなバンドだから好き、というわけでなく、本当に大好きになったバンド。飾らない静かな優しさに満ちている。

今年のGWはほとんど仕事だったので一瞬で終わってしまった。仕事といっても休日の待機当番だから基本的には暇で、家で子供の相手をするよりよっぽどのんびりはしていたんだけど、やっぱり休んだ気はしないしメリハリがないせいかなんだかよけいに疲れた。そして連休明けはやはり仕事がたまっていて地獄のように忙しかったけど、GWのいちばん恐ろしいところは、このあと祝祭日が2ヶ月以上ないという目を背けたくなる事実。精神と時の部屋がほしい。

詳細はわからないけど、知らない界隈のアイドルグループのメンバーが、他メンバーの生誕祭を仮病を理由に欠席して、好きなバンドのライブに行っていたのがバレて炎上しているらしい。欠席したのが他メンバーの大切な日であることとか嘘をついてライブに行ってたこととかはやはり不誠実だし非があると思うけど、個人的には、プライベートな理由でライブを欠席すること自体はあってもよいと思う。カテゴリー関係なくアイドルは職業なわけだから有休があってしかるべきで、そして有休に理由は必要ない。特に地下はライブの本数がめちゃめちゃ多いからライブを優先してたらプライベートの予定なんか入れられない。アイドルはただでさえ過剰なストレスにさらされているわけだし、有休は福利厚生以前の当然の権利なのだから、運営の皆様におかれましては、そこを確保してあげたほうが、結果的には息長く活動を続けてもらえるのではないでしょうか。例えばライブの詳細を発表する前までだったら有休取得可にするとか。そうすればその子推しのヲタクをがっかりさせることもないし。
といいつつ、自分はやっぱりプライドをもってやっているプロ意識の高いアイドルに惹かれる傾向にあるけど、でも、欠席するっていうのは推し変されるリスクとかいろいろ背負ってやることになるわけだし、いろんな価値観があってもいいと思う。というか、嘘をついたことはよくなかったとはいえこの運営の仕打ち(「『体調不良・学業』の使用禁止」「SNSは運営管理」「生誕祭→“謝罪祭”に変更」)は完全にパワハラだしやり過ぎだと思う。いじめてるようにしか見えない。自分が産業医だったら絶対に止めるし止めてくれないなら辞める。建前はともかく、従業員より客を優先する企業は例外なくブラックだ。客とはつまり売上、すなわち職員よりお金を大切にするような経営者の元で働いてはいけない。運営はヲタク以前にまずアイドルを守ってほしいというのが自分の願いです。

ガチ恋にもDDにもなれない中途半端なアイドルヲタクなので未だに推しの脱退を受け入れられないし前に進むことができないでいる。もういっそ全く界隈の違うアイドルを観たらいいのかなと思って幅広く見たり聴いたりしていて、アイドルはみんなかわいくて個性的で、がんばっている姿もそれぞれに魅力的だけど、こんな感じで表面だけ見ていても心に引っかかるものがないから素通りしてしまう。
それこそ外見だけで好きになるならAIが作った存在しない女の子だって美しいし現実とほとんど見分けがつかない。推しはもはや2次元か3次元かの括りではなく、実在か非実在かで語られる対象になっていくのだろう。好意の対象が2次元の存在であってもいいのと同じように、今後、AIで作られた実体のない存在を推してもなんの問題もない。
ただ、あまり行けていないけど自分はやっぱり現場が好きで、満点を超えるようなパフォーマンスや、技術だけでないその熱量がライブのよさだと思う。完璧でないところと、完璧を目指して努力できるところが実在する人間の魅力で、たぶんそれを見たくてアイドルヲタクをしている。アイドルが好きというか、アイドルであろうとする「人間」が好きなのかもしれない。未熟だから好き、というのとは全く違って、完全じゃないけど完全を目指して一生懸命努力してる姿が美しいし勇気をもらえるし尊敬しています。
でも、ほとんどのアイドルがそれに当てはまるからこそ、特別な自分の「推し」を見つけることは簡単じゃない。我ながらめんどくさいヲタクだなと思う。この穴がいつか埋まる日はくるのだろうか。

さて、上記のように自分の思うアイドルの魅力は人間にあるからAIは競合相手にはなっても生身のアイドルの需要は絶対になくならないと思うけど、一方で、純粋に作品自体に価値があって「誰が作ったか」にはあまり意味がないようなコンテンツの場合、遅かれ早かれ、人間の作品はAIに取って代わられることになるのだろう。すでに写真や絵などではそうなりつつあるし、おそらく音楽もそうなっていくのだろうと思う。

業界の人間がそうしたい気持ちはわかるが、そもそも人間の作曲家だって誰かの影響を受けているわけだし、盗用の基準は不明瞭だ。おそらく、「○○っぽい作品」みたいな曲をAIに作らせてそれをアレンジするような作曲方法になっていくのだろう。消費者としては、高名な作曲家が何ヶ月もかけて作った曲でも、AIが一瞬で作った曲でも、自分にとって好きな曲ならどちらでもよい。
でも、それを「誰が歌うか」には、きっと意味があるし、絵や写真も、アーティストのその作品に意図がある限り(例えば誰かのための絵とか)、受け取り手にとってはAI作品にはない意味が発生する。人間が作った芸術作品に意味を持たせるのは、その人の認知度でなく、その人にどれだけコアなファンがいるかという、広さではなく深さにかかってくる気がする。だから芸術家はAIの時代にこそ大衆受けではなくてニッチでも自分のやりたいことを突き詰める方が正しい。AIの進化が人間の芸術を衰退させるのではなく、本当によいものを浮かび上がらせるようなものだったらいいなと思う。

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