現実なき理想が猫を殺す

※今日のはあまり気持ちのいい話ではないです。

この記事、ことあるごとに反芻してる。自分が漠然と考えていたことをすごくわかりやすく言語化してくれていると感動した記事。
倫理的正しさと実利的正しさ。何を言っているかは記事を読めばすぐに理解できるし、理解できなかった人はこの記事も読む意味ないからすぐに閉じて違うことに時間を使った方がよいと思います。

ざっくり理想と現実と言ってもいいかもしれない。
こう書くと2択のように勘違いされてしまうけど実際は理想も現実も大切で、どちらか100%になることがよいわけではない。力なき正義は無力であり正義なき力は暴力なわけです。バランスが大事。
でも実は倫理とか道徳とか正義とかって人によって微妙に違っていて、無理にそれをすり合わせようとする方が間違ってるんだけど、倫理的正しさを主張する人って自分の信じる価値観が正しいと思い込んでいる人が多いので話がかみ合わないことが多い気がする。

個人的には、その、人によってそれぞれ微妙に違う倫理とか道徳とか正義ってもののなかで、最低限これはだいたい共通するよね、だからこれはみんなが守るようにしようね、っていう取り決めをしたのが「法」なんだと解釈している。だから、法に定められない部分については、極論すれば個人の価値観にすぎず、人それぞれ違って当然だと思う。
法に触れなければ何をしてもいい、というのは極論だけど、正しいか正しくないかで言えば、正しい。ここでいう「正しさ」こそが「実利的正しさ」だ。おかしいと思うなら、倫理なるものの最大公約数であるところの「法」の方を変えるべきだ。
こう書くと人でなしのように思われるけど、実際の話、自分は、「法に触れなければ何をしてもよい」なんて全く思っていない。自分には自分なりの倫理観があり、それに逸脱する生き方をするくらいなら死んだ方がマシだ。でも、他人に自分の倫理観を押し付けようとは全く思わない。だから、自分以外の誰かが「法に触れなければ何をしてもいいんだぜ、ヒャッハー」って言っていても「ああそうですか、法律だけは守ってね」って思うだけっていう、そういう話。

不倫した人を非難して「テレビに出すな」と苦情を言ったり出てるCMの不買運動をしたりする人は自分が正しいことをしていると信じて疑わないのだろうか。AV新法を可決させた人たちはそれで仕事が激減したAV女優を見て「よかったね」「あなたのためなのよ」とか言うのだろうか。アホか。
自分は自分の理想を振りかざして一方的に押し付けてくる人種が本当に苦手。オブラートにつつんで苦手って言ったけど本音を言うと大嫌い。話をして変わるような人たちじゃないから話をするだけ無駄だと思っているので議論する気は全くない。あなたの価値観は尊重するから自分に押し付けないでほしい。関わりたくない。でもそういう事案をみるとやっぱりモヤモヤしてしまう。

なんでこんなことを書きたくなったかというと、この記事を読んでめちゃめちゃ腹が立ったから。このサービスに、ではなく、この獣医師に対して。

自分は猫を飼ったこともなければ猫の保護に特別な関心があるわけでもないから実際のことは知らない。そして、この獣医師の言っていることはたぶん正しいんだと思う。「倫理的」に。
でも、そこに現実はあるのだろうか。実利的正しさはあるのか。

確かに、コロナ禍になり多頭飼育崩壊が多く起こっていて保護猫シェルターは、どこも満員なのに、そんなきれいごとを言っても仕方がないと考えている人もいます。猫はいまや平均寿命15年ぐらい生きる動物なので、よく考えて飼育してください。

自ら言っている「保護猫シェルターはどこも満員なのに、そんなきれいごとを言っても仕方がないと考える人も」いる、それに対する答えが「よく考えて飼育してください」?それで解決するくらいなら、問題はとっくに解決している。よく考えて飼育している人は問題を起こさないし、よく考えないで飼育するような人は他人がこんなことを言ったところで守るわけがない。

そりゃあ猫にとってはちゃんとした飼い主が見つかることが理想でしょうよ。当たり前だよそんなの。でも現実はそう簡単じゃなくて、保護猫シェルターが満員だとしたら野良猫として生きていくか保健所で殺処分されるかになるわけでしょ。さらに、実際、保護猫を引き取りたいと考えたときに、そのハードルがとても高いことは周知の事実で、それは猫が虐待されたり再度捨てられたりするリスクを減らすために役に立っているのかもしれないけど、引き取り手を狭めているという負の要因も確実にある。わざと嫌な言い方をするなら、1匹の猫を虐待から守るために、それ以外の多数の猫の引き取り手をなくして殺処分につながっているかもしれない。トロッコ問題。
ていうか、猫を虐待する人の気持ちは1ミリもわからないけど、わざわざお金払ってレンタルしてきて虐待するくらいだったら、野良猫を捕まえてきて虐待するんじゃないの。その方がお金もかからないし足もつかない。当たり前だけど保護猫だけを虐待から守ればいいわけではない。そして虐待は法に触れるからそれを防ぐのは倫理というより法である。

この「ねこホーダイ」というサービスを提供しようとしている会社がどういうところか知らないし、理念も書いてあることしかわからない。でも、少なくともこの理念を読む限りは、現実に向き合おうとした結果のアイデアなんじゃないかと思う。お金儲けしようと考えるなら月額380円なわけないだろ。保護猫がいっぱいでこれ以上保護できないシェルターを見かねた苦肉の策がこの「ねこホーダイ」なんだとしたら、それを「まだまだ日本では、猫は命あるものというあたり前の感覚がないことを思い知りました」とか、現実の伴わない理想をかかげて感情的に非難する、この獣医師の方がよっぽど心がない。耳触りのいいことを、専門家が言うもんだからなおさら始末が悪い。

たしかに、そのサービスでストレスを受ける猫や、もしかしたら虐待される猫もいるかもしれない。でも、そのリスクと引き換えに、将来的には、その何倍、何十倍の猫の命が救われるのかもしれない。本当に保護猫全体のことを考えるなら、どう考えてもそちらの方がメリットが大きいんじゃないだろうか。100匹の猫のために1匹の猫が犠牲になっていい、という話ではもちろんないけど、こちらの方が現実的だし、これが実利的正しさだと思う。

赤ちゃんポストだって、最初どれだけ非難されたかわからない。でも、現実に、子供を育てられなくて殺してしまう親や、ネグレクトする親はいるし、そういうひとに「親なんだから面倒見るのが当たり前だ」なんて理想を押し付けても何の解決にもならないから、被害を被る子供の命を守るために作られたのが赤ちゃんポストだ。

何度でも言うけど、この獣医師の言うことは倫理的に正しいのだろう。でも、倫理的正しさしかない。実利的正しさがない。かけらもない。この、現実が一切伴わない理想論がいちばんタチが悪い。現状を破綻させたり、現実的な解決を妨げるのはいつだってこの手の人たちだ。命を大事にしていないのはどっちだよ。

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