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他の誰かに「愛」を与えるには

私はアシュタールです。



皆さんは、

「愛」を、
まず、他の人に与えようとするから、
苦しくなるのです。


あなた自身は、心の底から「満たされている」と感じていますか?

これが感じられない場合、
あなたは、まだ、他の人に「愛」を与えるのは早過ぎます。


なぜなら、
あなたが、まだ、「満ち足りている」と感じることが出来ていないと、
あなたは、あなたに必要なエネルギーを削ることで、
他の人に「愛」を与えることになるからです。


ですが、これは「愛」ではありません。

あなたに必要なエネルギーを削ってまで、誰かに与える、ということは、
つまり、「自己犠牲」になるからです。

自分自身を犠牲にするのは、
「愛」ではありません。

「神」は、自らを犠牲にすることは、
決して、ないのです。

「神」が、自らを犠牲にし、
もし、そのエネルギーが尽きてしまったとしたら、
宇宙が消滅してしまうからです。

なので、神は、自分自身を犠牲にすることはありません。


神は、常に満たされているので、

皆さん一人一人を生み出すことが出来、
宇宙を生み出すことが出来たのです。


そして、あなたは、
「神」であることを忘れた「神自身」です。

神であることを忘れてしまったがために、
あなたは、あなたに必要なエネルギーを、たくさん与え、失ってきました。

だから、あなたは、
「満ち足りなさ」「不足」を感じてしまうのです。


そもそも、
あなたが、見て、体験している世界は、
あなたが、あなた自身を、ただ映し出している「スクリーン」なので、

スクリーンに向かって、いくらエネルギーを投じたところで、
何も返ってこないのです。


例えば、
あなたが、実際に映画を観ていると思ってください。

あなたが、
その映画の展開に共感し、
感動し、涙を流し、
何か施しをしたいと思って、
そのスクリーンに向かって、自らのお金を投じたとしましょう。

ですが、それは、ただのスクリーンなので、
あなたの投じたお金が、役に立つことはあるでしょうか?

これは、映画館の窓口での話をしているのではありません。
スクリーンの前での話です。


現実も、これと全く同じなのです。

あなたの心が「満たされている」と感じていないのに、
あなたの外側、つまり「スクリーン」に向かって、
無条件に愛を与えようとしても、

あなたの財布の中身ばかりが無くなっていくように、
あなたのエネルギーばかりが無くなっていってしまうのです。


ですので、
もし、外側に対して、何か与えたいと思った時は、

あなた自身の心が満たされ、
愛が溢れて仕方なくなってからにしましょう。


そうすれば、あなたのエネルギーを削る必要がなく、
あなたは、満たされたまま、あなたの世界にも与えることが出来ます。


皆さんは、
「困っている誰かを助けることは良いことだ」と、教わってきたかもしれません。

ですが、まだ、あなた自身も困っている最中なのに、
他の誰かを助けようと頑張ることは、しなくて良いのです。

あなたが無理をして頑張らなくても、
満ち足りている、他の誰かが、
あなたの代わりに、困っている人を助ける役目を担うからです。

このことに、あなたが罪悪感を感じる必要はありません。

なぜなら、
宇宙は、このようにして、
みんな一人一人が「今」出来る役割を、無理なく引き受けることで、
「共同創造」しているからです。


なので、あなたも、
「今」出来る役割に集中し、

誰かを助けることは、
あなたが、充分以上に「満たされている」と、
自覚出来てからにしましょう。


もちろん、
その自覚が出来るまで「人助けをしてはならない」と言っているのではありません。

もし、あなたが、まだ「満ち足りていない」としても、
人助けをすることが、
「今のあなた」にとって、無理がなく、
「快」を感じる方向なのであれば、

あなたの心に従って、行動してください。



世間の声ではなく、
また、私の声でもなく、

あなた自身の「心の声」で、行動すれば、

それが、あなたにとっての「愛」であり、
最も「満たされる」道なのです。







(´ฅ•ω•ฅ`)♡



アシュタール













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