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「豊かさ」を、素直に受け取りましょう



私はアシュタールです。



「ジャッジ」も、
ある意味、「豊かさ」であることに気付きましょう。


例えば、

あなたが、「食事」に関してジャッジしているとします。

あの食品は体に良く、
あの食品は体に悪いので避けるべき、

という「観念」を採用しています。


ですが、もし、あなたが、
満足に食べることの出来ない状況にいるとしたら、
どうでしょう?

生まれた環境がとても貧しかったり、
戦争や災害に見舞われ、食料を調達することが困難だったり、
飢饉によって、今日食べるものすら無いかもしれない、

そのような状況にいる、と思ってみてください。

あなたは、とてもお腹を空かせています。

そのような時に、
食べ物に対して、ジャッジをする余裕があるでしょうか?


また、
あなたが、肌に触れる布素材に対して、

天然素材は良いけれど、
化学繊維で出来た素材は悪い、

と、ジャッジしているとします。

もし、あなたが、雪山で道に迷ってしまった状況にいるとして、
幸いにも、小屋を見付けました。

そこに、大量の毛布が置いてあるのですが、
それが全て、化学繊維で出来ていたら、
あなたはどうしますか?


真冬に災害が発生し、電気もガスも使えない状況になったとして、
避難指示が出されたので、避難所に非難しますが、
そこで支給されていた防寒製品が、化学繊維の素材ばかりだった場合、
あなたは、どうしますか?


そうです。
このような状況に、もし立っているとしたら、
あなたの選択肢は、非常に限られたものになるのです。

ですので、
特定の何かをジャッジし、
それが「良い」か「悪い」かと決め付け、選べる、
ということは、

あなたが、「自由」で「恵まれた状況にいる」という、
「豊かさ」の証拠でもあるのです。

せっかく「豊か」な立場にいるのに、

どうして、
「ジャッジ」によって、
「あれは良い、これは悪い」と、選択肢を狭め、
自ら、自由を制限するのでしょうか?

ただ、選べる「自由」に感謝し、
それを楽しめばいいだけなのです。

そこに「ジャッジ」は必要ありません。


あなたが「ジャッジ」の対象にしているものは、
ただ、そこに「存在している」。
それだけなのです。


あなたが、それらに「良い・悪い」という、
「ジャッジのエネルギー」を与えることで、

初めて、それらに、
「良い・悪い」という「結果」が生まれます。


全て「幻想」なのです。

「神」である「あなた」が、
「幻想」に対し、

どのような「力」を与えるかによって、

「あなたの世界」が、創造されます。


ですので、
あなたの自由を制限するような「観念」は手放し、
今後も、採用しないようにしましょう。


あなたが「制限」を楽しみたいのであれば、構いませんが、

もし、「制限」の世界で、
あなたが苦しい思いをしているのであれば、

「制限」を手放してください。


あなたには、既に、「選べる」という「自由」、
「豊かさ」があるのですから、

ただ「自由」に感謝し、

「豊かさ」を、素直に受け取りましょう。





^_^


アシュタール









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