リハビリSS ダーリン/にしな

ベッドから抜け出したコウちゃんが、ノートパソコンに向かって別れの歌を書いている。
ずっと気付かないふりをしてたことを認めざるを得なくなった時、泣くでも怒るでもなく、どうにかして作品に落としこもうとする。そういうとこミュージシャンなんだなって。一応ね。
空が白み始めてる。カーテンの隙間から漏れてくる光が、結露にぶつかって屈折する。床に落ちた結露の影を見て、この部屋湿気多いんだよなぁなんて、わざと違うことを考えてみる。でも結局それも無駄な努力だ。
迷っていたし、迷わせていた。恋の終わりってもっと明確なもんだと思ってた。
大事だし、大好きだし、無くしがたい存在でしかないのに…このままじゃ私たちお互いに良くないよねっていう別れの選び方なんて本当にあるんだ。
ノートパソコンに向かって唸り声をあげるコウちゃんの肩が震えてる。鼻を啜って、ティッシュを2枚取り出した。
「チクショー…」
わかる、悔しいよね。
私がもっと出来た女だった、それかもっと悪い女だったら良かった。それかコウちゃんがもっと、バンドマンらしいクズ男だったら。
追っかけてくる女の子を雑に抱いて帰ってくるような人だったら、嫌いにもなれたかもしれないのに。
私を大事にしてくれた。私もコウちゃんのこと精一杯大事にしていた。そうやって2人でずっとぬるま湯に浸かっていられるならそれでも良かった。
でも、私たち変に真面目なんだね。お互いに抱いてた違和感を、無視できない程度には。
寝返りを打つふりをしてコウちゃんに背中を向ける。しばらく文字を書いては消し、書いては消しを繰り返し、ため息をつく声がして、それから布団に潜り込んできた。
しばらく静かにしていると、深い寝息が聞こえてきた。くっついた背中が暖かい。
背中の温度はこんなにも近いのに、どうしてこんなに遠く感じてるんだろう。
目を瞑ると、付き合い出した頃からの思い出が甦ってくる。
夜中のコインランドリー、ネモフィラ畑、小さなホールケーキ。喧嘩して飛び出した日、揺れるブランコ…。暖かくて、なんでもない思い出たち。
微睡みながら思う、いつかは終わる恋をしていたのね、私たち。



「ユウ、俺たちさ…もう…」
そこまで言ったくせに、私の顔を見たらなんも言えなくなっちゃう、臆病で優しい人。
コウちゃんのそういうところが一番好きで、一番嫌い。
一応言葉を待って、コウちゃんの目をじっと見つめる。大きな目は見る見るうちに潤んで、今にも涙がこぼれそうになっている。
優しすぎて、私に酷い言葉をかけられないんだよね。上手に傷つけられなくて泣いちゃう、子供みたいに純粋なとこが好きよ。
私、コウちゃんになにをしてあげられたかな。って考えたことあった。けど、私多分なにもあげられてないんだよね。
歌にできるような怒りや悲しみすらあげられなかった。コウちゃんの才能に火をつけるほどの熱も、内助の功ってやつも、暖かい生活も、何一つあげられなかったね。
だから、さよならは私が言ってあげる。ごめんね、これしか出来なくて。
「コウちゃん、もう終わりにしようね」
私のその言葉を聞いて、少しだけ驚いて、それから顔をくしゃくしゃにして泣き出した。嗚咽を漏らすコウちゃんを抱きしめると、コウちゃんも私をぎゅっと抱きしめた。
今までのどんな夜よりも強くて、どんな言葉より深い愛を感じた。
その夜、コウちゃんが寝たふりをしているのはわかっていたけど、分かってないふりをして荷物をまとめた。
数日分の服と必要最低限の荷物を大きめのカバンに詰め込んで、押し入れの中に入れておく。明日コウちゃんがスタジオ練習に行ってる間に出ていこう。出ていく時には手紙も置いていこう。今までの感謝と、運びきれない荷物のこととか、色々ね。
最後の手紙だから、愛してるって書きたいけど、それじゃダメだよね。
蝋燭みたいに、ゆっくり燃えて、ゆっくり熔けていった恋だったな。
さよなら、ありがとう。

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