リハビリSS ワンルーム/にしな

バイト行ってくるね、という声を聞いた気がして目を擦る。バタンと閉まったドアの音と、りんごの甘い匂いだけが残った部屋。
ゆっくり起き上がって伸びをする。朝と呼ぶにはもう遅い時間だけど、昨日は明け方まで打ち上げだったから仕方ない。バイトは夜から。まだゆっくりしていられる。
こたつの上にはユウが剥いて置いて行ったであろう歪なうさぎ型のりんご。二日酔いの胃袋にちょうどいい量。わかってるなぁと思いながら指で摘んでそのまま齧る。ユウの実家から送られてきたやつだな。長野はめちゃくちゃ寒くて、めちゃくちゃりんごが美味い。
2年前、一緒に暮らしだした頃はバイトの時間もなるべく合わせてた。休みの曜日も。ライブのあとの打ち上げも全部一緒だった。
一緒にいない時間をなるべく少なくしたかった。何もかも、分かち合いたかった。でも、いつからだろう?一緒の時間とそうじゃない時間の境界がゆっくりと溶けて、だんだんと寝るのも晩飯も別々になって、今や1人の時間が一番ほっとする。
ユウが悪いわけじゃない、俺も多分悪くない。これは慣れなのか、終わりの始まりなのか、区別できなかった。いや、多分区別しないようにしてた。答えを知るのが怖かった。
耳の長さが違ううさぎを眺めながら思い出す。
「うさぎってさぁ、別に寂しくても死なないらしいよ」
そう言った時、どんな顔をしてたっけな。

コンビニ夜勤が終わって、目がしょぼしょぼするなと思いながら家に帰る。11月ともなると夜明けが遅くて、外はまだ真っ暗。寒くてしんどい。早く温まりたい。そう思いながらドアを開ける。
「ただいまー」
電気はついてるけど返事はない。コタツもテレビもつけっぱなしで、ベッドに背中を預けて寝息を立てるユウがいた。化粧も落としてないし、食いかけのラーメンに箸が刺さったままだ。
小さくため息をついて荷物を下ろす。忙しかった日はだいたいこうやって寝落ちだ。
ユウの頬を優しく2回叩く。まぶたがピクっとして、んん…と声を漏らす。
「朝」
「ん…おかえり…ごめぇん」
「シャワー浴びる?」
「浴びる…」
ぼんやりした声で返事をしながら、また寝息を立て始めた。俺がシャワー出てから声かけた方が良さそうだな、と思いながらテレビを消す。
寝起きが悪いところも、だらしない生活も、計画性のなさも、俺たちはそっくりだ。一緒にいるとピッタリくっつけていられて楽だった。
なのになんでこんなに、ダメだという気持ちになるんだろう。
下を向いてシャワーを浴びる。お湯が頭皮を滑って顔に垂れ、目に入った。それでも顔を上げられない。眠いからじゃない。疲れてるからでもない。怒っても呆れてもない。はずだ。明確な理由なんかない。でもなんでか、ずっと終わりという言葉が頭の中を付きまとう。

シャワーから出てもう一度ユウを起こし、風呂場に半ば無理やり突っ込んだ。残飯とグラスに残った酒を処理してから、ノートパソコンを開く。新譜の作詞をちょっとだけ進めておきたかった。今回はバラードで、メロ的に別れの歌っぽい感じ。女目線の歌詞を書こうと思ったけど、サビの部分がしっくり来ない。何度も書いては消し、書いては消しを繰り返しているうちに、ユウがシャワーを終えて出てきた。
「何してるの?」
「作詞、進んでないけど」
「ふぅん、頑張って…私もっかい寝る」
おっけ、と返事をしながらふと思った。女の気持ちが書けなくて困ってるなら、女に聞けばよくないか?いちばん近くにいる女に聞いてみればいい。振り返り、まどろむユウに話しかける。
「ユウ、もし俺の気持ちがわかんなくなったらどうする」
「…なにそれ?」
仰向けのユウが首だけこっちに向けて言う。ぼーっとしてる時の、目が合ってるんだか合ってないんだかわかんない顔をしてる。
「例えば俺がほんとにユウのこと好きかどうか、わかんなくなった時。ユウならどうする?」
「なんもしないよ」
「色々聞いたりしないの?気を引きたいとか」
そう言った瞬間、ほんの一瞬だけ、ユウの目の色が変わった気がして胸がドキッとした。ぼーっとしてたのに、一瞬だけ目線で刺されたみたいな。
踏んではいけない地雷を踏んだ、そんな気がした。
ユウは目を擦り、それからしっかり俺の目を見てこう言った。
「そんなことしたって、コウちゃんは変わんないからなんもしないよ」
「そ…っか、確かに」
「コウちゃんも、早く寝な?疲れたでしょ…」
「うん、俺も寝る。ちょっとそっち避けて」
パソコンを畳んで、何日かぶりに一緒に布団に入って、おやすみって言い合って、それからユウが寝息を立てはじめるまでずっと天井を見てた。
確かに、確かにユウは俺に一度も「愛してる?」なんて聞いたこと無かった。
安心しきってるんだと思ってた。お互いに。
違うんだな、と、今のこの会話でわからされた。俺だってこれがわからないほど馬鹿じゃない。
なんとなく付きまとっていた言葉が、急に真実になってしまった。そうか、やっぱり終わりなんだ。俺たち。っていうか、とっくの昔からゆっくり終わりに向かってた。
ユウを起こさないようにゆっくり起き上がって、スリープにしてたノートパソコンをもう一度立ち上げる。胸がザワザワして、寝られそうになかった。
今の気持ちを歌にしてみようかな、とか思ったけど、ちょっと無理だった。
こんなちっちゃい会話で、今まで避けに避けてきた結論出させんなよ。
終わるならさ、もっとでっかい喧嘩して、もっと劇的な別れ話して、大泣きしながら終わりを実感させてくれよ。
こんなんじゃ歌にも出来ない。俺、この別れ乗り越えてどんな歌詞書くの?
なんて、俺まだ別れ切り出してもないのに。
でもわかってるんだろ、ユウ。俺たちもうずっと前から、もしかしたら付き合いだしたあの時から、結論は1個だよな。
次の休みにちゃんと話をしよう。

俺がミュージシャンになるとか天下取るとか大口叩いて大学を辞めた時、ユウだけはずっと信じるよって言ってくれて、嬉しかった。
何一つ成し遂げてないなんかないのに、でかいだけの夢に付き合わせた挙句、こんな風に勝手に別れを決意するような奴でごめん。しかも、まだちゃんとユウのこと愛してるよ。
何回考えても、多分誰も悪くない。ここが俺たちの限界だっただけ。
どっちかが悪くなっちゃう前に、ちゃんと言おう。
さよなら、ありがとう。

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