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表現と向き合える人になるために

習字をし始めて、もうすぐ一年になろうとしている。
硬筆から始めて、今は毛筆も。
毎月競書に出して、昇級を目指している。

昇級をすることはもちろん嬉しい。
何が嬉しいのかというと、
自分を全く知らない人が、自分の字だけを見て評価してくれるところ。
写真では、そうはいかないことが多い。
私の写真だけが好きな人っているのかな?

SNSでの写真公開をしていると
そこには少なからず、自分の個が出てくると思う。
特に、なのかは分からないけれど、
自分の場合は、私という人を通して
私の写真を見てくれてる人が多いような気がする。
もちろんそれも嬉しい。

ただ、習字と写真では
嬉しくなるアプローチが違うという話。
そして、取り組み方のアプローチも全く違う。

私がしているのは書道ではなくて習字なので
目指すべきゴールがある程度決まっている。
そこには、私という「個」が線質となって現れているかもしれないけど
基本は、お見本とおなじをまず、目指す。
字の書き方には色々な決まりがいくつもあって
1ミリの狂いが、大崩壊へ繋がっていくので、
ある意味デッサンにも似ているような気がする。

本当は、普段の字を美しく書きたくて始めたのだけれど
常にデッサンを意識して字を書くわけではないので
本当に、全然普段の字が上手にならない。
それはもう笑えるぐらい、難しい。

何かを自分のものにするって、こんなに大変だったんだ。
当たり前に書いてる今の字は、一体どうやって形成されたのか。
無意識で、当たり前みたいに美しい字を書くためには
それこそ、果てしない鍛錬が必要なのだろう。
私はサボり魔なので、きっとこのまま一生字は綺麗にならないだろう。
写真と一緒だね。
それでも、写真も続けるし、字も習い続けようと思う。

筆で、紙に字を書くという行為が、好き。
墨の匂いも好きだし、墨を摺る行為も好きだし
少し透けた白い半紙に真っ黒な墨がのる瞬間が好き。
これがピンクだったらすぐやめてると思う。
とにかくあの白と黒の世界が好きなのだ。
手間隙をかけて、たった2〜4文字を
長時間かけて作り上げる、そのめんどくささが好き。
2度も同じ字を書けた事もなければ
納得できる字を書けたことなど皆無なのだけれど
今できる最高を目指す、あの時間が好き。
昨日の自分を超える、あの瞬間が好き。
それもやっぱり、クリエイティブの一つだと思う。

最初はもちろん昇級は嬉しかったのだけれど
最近はあまりそこに固執はしていない。
いや、もちろん、嬉しいのは変わらないし、
今年中に昇段する、という目標もある。

でも、もっと、向き合うことを好きになりたい。
それが、最終的な目標かもしれない。

字が上手く書けたら、なんなの?って感じかもしれない。
いや、ほんと、なんなんだろうね。
別に、全然なくても困ることじゃないし
綺麗な字を書けると人格者になれるわけでもない。

でも、なんか、そういうことじゃないんだよね。
このニュアンスが伝わってくれるといいのだけれど。
写真を撮って、展示したりすることと
私の中ではあまり相違がないかな、と思う。

なんだっていいのよ、することは。
要はそれにどう取り組んでいて、
どういうものを見出すか、なのかな、と思う。

そんなこと、思いながら、またサボる理由を見つけて
全くちゃんと向き合えてもいないのだけど。
真剣に向き合うって、苦しいんだよね。ほんとに。

あと、10年後、もう少し楽しめていますように。

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