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まだ間に合うからアンナチュラル見ようよ

最近「アンナチュラル」と「MIU404」の周辺が騒がしい。
ドラマを見たことない人も、その騒がしさを感じているかもしれません。

それは、2024年夏に公開される映画「ラストマイル」による騒ぎです。


2018年放送のドラマ「アンナチュラル」
2020年放送のドラマ「MIU404」

この2つのドラマは続編やシリーズといったものではないのですが、ドラマの舞台となる世界が同じ(シェアードユニバースとかっていいます)。

なので独立した2つのドラマではありながら、MIU404にアンナチュラルの要素が登場したりして、それはもうファンをニヤニヤさせました。

そして2024年、これらとまた舞台を同じくする映画「ラストマイル」が公開となります。


法医解剖医のアンナチュラル、機動捜査隊のMIU404、そしてラストマイルは「物流」。
テーマはそれぞれバラバラだけど、MIU404にアンナチュラルのキャラクターが顔を覗かせたように、ラストマイルにも当然その期待がかかりますよね。

顔を覗かせてほしい
匂わせてほしい
サプライズとかあってほしい

そんなファンの願いを叶えるどころか、アンナチュラルとMIU404のメインキャストがほぼ勢ぞろいで出演することが発表されたもんだから、この4月お祭り騒ぎになってる。


https://twitter.com/last_mile_movie


石原さとみや井浦新や星野源や綾野剛が脇役なんですか?

っていう、まあえらいこっちゃなんですけど、こういうのって「放送時からのオタクです」みたいな人がクソデカ感情を増幅させてエッまってむり死ぬ生きるとか言いまくるから、なんか気になるけど今からは乗りにくいと感じてしまう未視聴の人もいるでしょう。

でも大丈夫。

今からでもこの祭り、乗れます。

まだ4月だし。
公開日はちょうどこれ書いてる途中で発表されたけど、「8月23日」です。
まだ4か月もあります。

わたしもリアルタイムでは見てないけどオタクに紛れて踊ってるし

だから今回はとにかくアンナチュラルだけでも見てくれ!そういう話です。


内容は

  1. アンナチュラル=米津のLemon

  2. キャラクターの魅力

  3. ケイゾクファンが見るアンナチュラル

  4. 映画への期待

こんな感じです。


アンナチュラル未視聴者向け部分は無料で読めます。
ケイゾク話の途中くらいから限定でネタバレ気にせず話すのでご了承ください。


※リンクには広告を含みます


アンナチュラル=米津玄師「Lemon」

アンナチュラルのことを全く知らない、出演者もジャンルも知らないし、そもそもドラマですか?っていう人に手っ取り早く伝えようと思ったら、わたしは二つ思いつく。

ひとつは「ケイゾクって好き?」
ひとつは「米津のLemonだよ」

この2択です。

ケイゾクやアンナチュラルを知らなくても、米津玄師のLemonを知らない、一度も聞いたことがないという人は「いない」と言ってしまっても過言ではないでしょう。

それくらいバカみたいにヒットした米津のLemonは、ドラマ「アンナチュラル」の主題歌として書き下ろされました。

これがもう、”アンナチュラルのイメージソング”だと言われるくらい、ドラマとのシンクロ率が高い、というか、アンナチュラルとはLemon、Lemonとはアンナチュラル
そう言ってもいいくらいです。


だから「Lemonもちろん知ってるよ、めちゃくちゃいい曲だよね」と言いながらアンナチュラルを見ていなかったら、それはLemonをすべて知っているとは言い難い。

わたしもアンナチュラルを知らぬ頃は「なんか流行っとる曲だ」くらいにしか思っていませんでしたが、今はこうして歌詞をなぞるだけで目頭が熱くなってしまう。


だから「あ~あのLemonのドラマか~」って感じで入っていくのが最も簡単だと思います。


アンナチュラルとは「不自然死」の「不自然」の部分

アンナチュラルというドラマが描いているのは、ひとことで言えば「死」です。
ひとことっていうか一文字になっちゃったけど。

もう少し説明すると
「不自然死の遺体を解剖して死因に迫る」
のがこの物語。

(遺体を解剖とかいう単語で構えてしまう方もいるかもしれませんが、グロとかそういうのはまったくないので安心していいですと先に言っておきます)


舞台は架空の機関「UDIラボ」Unnatural Death Investigation Laboratory=不自然死究明研究所)。

日本では不自然死の8割以上が解剖されていないという現実があり、その状況を変えるために新設されたのがUDIラボ。

そこで働く法医解剖医の三澄ミコト(石原さとみ)を中心に、基本1話完結で綴られる「死」から始まる物語、それがドラマ「アンナチュラル」です。

フォーマットとしては、医療ものというより、刑事ものとか探偵ものとかのミステリーと同じ感じですね。

違うのは「追うもの」。


アンナチュラルが追及するのは「死」そのもの

警察や探偵の目標は「犯人」だけど、UDIの目標は「死」そのもの。

だから死因は他殺に限らない。
他殺だったとしても、死因究明の過程で犯人を見つけることになったとしても、犯人を追うのは彼らの役目ではない。

遺体となって目の前にいるこの人は、なぜ死んだのか。
なぜ死ななければならなかったのか。

追及するのはそこです。
だから、完璧な仕事をして、死因が判明して、事件が解決したとしても、スッキリ一件落着といくわけがない。

死んだ人は戻ってこない。

自殺でも、他殺でも、病死でも事故でも、死んだという事実は変わらない。
二度と戻らないその事実と、残された人の悲しみや後悔、罪悪感。
なぜあの人は死んで、なぜ自分は生きているのか。
辿り着く先はそういったものだ。

夢ならばどれほどよかったでしょうと言いたくもなる。

その、ここでしかない!というタイミングで流れるのがLemonです。
Lemon挿入職人の朝は早い。


「汎用的」だからこそすべてのドラマに寄り添える

アンナチュラルを見るまでLemonって「普通にいい曲」だと思ってた。

「普通にいい曲」を作れるのってすごくプロフェッショナルだし否定的な意味合いはないんですが、それ以上の意味もないというか。

その後「独自性」を持ちつつ次々とヒットを飛ばす米津玄師を見て、この人はアーティストでありプロである、天才の部類だ、ということに気が付いていくのだけど、それにおいてLemonはあまりに汎用的すぎる。

それがドラマを見て変わりました。
汎用的であるがゆえに、毎回最後のLemonが染みてしまう。

レモンが染みるっていうとなんかちょっと目が痛そうだけど。


米津玄師はこの曲を「ただひたすら”あなたの死が悲しい”と歌ってる」「ものすごく個人的な曲」だと言ってる。

「傷付いた人を優しく包み込むようなものにしてほしい」というオーダーで。最初はそこに忠実に作り始めたんですけど、結局できあがったものは決してそういうものにはならなかったんです。結果的に「あなたが死んで悲しいです」とずっと言ってるだけの曲になった。


まさにこれ。

それは、あまりにもぴったりと重なって嵐のように感情が昂ぶることもあれば、静かに遠くから見守るようなときもある。
そっと寄り添ったかと思えば、鋭利な刃物で刺してくることもある。

優しく包み込む曲は、きっと優しく包み込むことしかできない。
アンナチュラルは「死者を想う」物語。
Lemonの「ただあなたを想う」詞が様々な死とリンクする。


2018年末、家族で集まって紅白を見ていたとき、
Lemonってなんでこんなに流行ってるんだろうね、いい曲はいい曲だけど、過去に何回か聞いたことある曲だよね、まあでもドラマが流行ったみたいだし、最後に流れてきたらあああってなるやつなんじゃない、そういうのあるよね
とか言ってたけどまさにそれでしたね。


そんなわけでLemonはアンナチュラルのイメソンとか言われてるけど、最終的には「中堂系のキャラソン」と言われています。

それは見ればわかる。
見てください。


アンナチュラルのナチュラルな人たち

魅力的なドラマには魅力的なキャラクターがつきものです。
キャラクターが魅力的だから魅力的なドラマになるのだから。

いいキャラだらけなんだけど、メインの3人だけでも紹介しておきたい。


三澄ミコトは「普通」の主人公

まず主人公は石原さとみが演じる法医解剖医・三澄ミコト
彼女がとにかく魅力しかないんですが、「主人公がエキセントリックでない」というのがこのドラマの大きな特徴になってる。

女の法医学者を主人公にしたら、男には負けませんって顔した強気の女とか、色恋やオシャレに興味ない変人の天才みたいなやつとか、なんか「色」がついてておかしくないと思っちゃうんだけど、ミコトにはそれがない。

可愛くて、いつもきれいにしてて、常識的で、結婚考える彼氏がいて、雑に言うと「普通」の人

言っても石原さとみなのであり得んくらい可愛いし、賢いし、仕事できるし、その上誰にでも優しいし、表情や話し方もとてもとても魅力的。
どこにでもいる「普通」の女性と言ってしまうにはあまりにも素敵すぎるけど、現実離れは全くしてない。
(一家心中の生き残りという設定は「普通」ではないけど、性格や人として)


そのほかのキャラクターも、仕事はちゃんとやるし、真剣に向き合い心を痛めることもあるけど、遺体を目の前に冗談言ってゲラゲラ笑ってたりもする。
そういう「普通に仕事してる人たち」が描かれている。

「この人ってこういう人」ってひとことで言える人なんて現実にはそういないわけで、「フィクションのキャラクターとしての単純化」みたいなことを極力抑えている気がします。

だから絵にかいたような嫌なやつとか、物語を進めるためだけにいるバカとかがいないし、人間関係もあくまでも職場の同僚といった感じで、視聴者にとってもラボの居心地がいい。


こういうのってやってみれば分かるんでしょうけど、企画段階ではやはり不安に思う人もいるようで、もっと特徴を、とか、お約束を、とかって話もあったようです。
今のミコトたちで良かった。

結局ほかのドラマもそうやって企画段階で不安で盛られてしまうんだろうね。
野木さんもいうとおり、もちろんそういうドラマもあっていいんですが。


別レイヤーの男、中堂系

そうはいってもテレビドラマなので、限られた板の上で、限られた人数で行われる舞台。
この世界には葬儀屋はひとりしかおらんのか、みたいなことも起こりますけども、あと葬儀屋はなんか変ですけども、そんな中でも特別リアリティのない「キャラクター」っぽいのが井浦新演じる中堂系である。

腕は確かだけど、口が悪くて態度が悪い法医解剖医。
口を開けば低い声で「クソが」と言い、人をバカにし、俺とおまえたちは違うみたいな顔をしている。
めちゃくちゃキャラクターっぽい。
(それゆえにめちゃくちゃに人気があるというのもある)


それじゃ、さっきの世界とレイヤー違くない?となりそうなもの。
でも中堂系は、ちゃんとパワハラで訴えられている。

「キャラクター的お約束」であるはずの「クソが」を原因に、同僚から訴訟を起こされている。
そうやってちゃんと同じ階層に引きずりおろしてる。

これがめちゃくちゃ面白いし、革新的で、今っぽい。
ほかの同僚からも普通に陰口叩かれてるし、いじっていい空気もある。
ただ自然に、普通に、ってのを描くだけじゃないから、世界が小さくないし、面白い。

これをやったからアンナチュラルって最高なんだと思う。
アンナチュラル最高ポイントのひとつです(いくつあるのか知らんが)。


あと、仕事嫌いって空気を前面に出しながら仕事してる東海林(市川実日子)とか、メンバーの尻に敷かれる所長(松重豊)とか、みんな好きだけど、わたしは六郎が結構好きです。

UDIラボの学生バイト、久部六郎(窪田正孝)は医者一家の三男。
三浪して入った三流医学部を休学中。
六郎だけど三男。六郎だけど三浪。

本当は週刊誌の編集部でもバイトをしており、その潜入取材でUDIで働いている。

親に対するコンプレックスがあり、頭はいいけど学生らしい未熟さもあり、不器用そうだけど本当はスパイで、だけどUDIやミコトに惹かれてしまって、という複雑な人物。
だけどそれを複雑に感じさせない、「いろんな面がある人」じゃなくて、それが「六郎っていう人」っていうふうに見えるのが、窪田正孝の力だなぁと感じてます。


とにかく、石原さとみが信じられないくらい可愛くて、井浦新が震えるくらいかっこいいから、それだけでも見てください。

ほかに誰が出てる?どんなキャラがいる?と気になった方はキャラクター相関図をご覧ください。


ケイゾクの遺伝子は無視できない

さて、最初の方で「ケイゾク好き?」の問いに「はい」と答えた方、お待たせしました。
そういう人に言うことはないです。
ケイゾク好きなら多分好きだからとっとと見なさい。

ただ、ここまでの内容っていろんなところで語られてる話でもあるんで、せっかくなのでケイゾクファンの目線からアンナチュラルを語りたい。


ケイゾク
1999年放送のTBSドラマ
迷宮入り事件だけを扱う警視庁捜査一課二係に配属された柴田(中谷美紀)と、一見やる気のない刑事・真山(渡部篤郎)が難事件を紐解く!演出・堤幸彦


まず、アンナチュラルはケイゾクと関係ありません

ケイゾクとSPECのような関係性もない、別世界の話ですし、言ってしまえばケイゾクのプロデューサーである植田Pが関わってることくらいしか直接的な繋がりはありません(植田Pも補佐であって、メインPは別の人)。

ただ、どうしても無視できない、滲み出る何かがある
ケイゾクが好きならきっとそれを無視できないし、関連性云々を抜きにしてもケイゾク好きな人はアンナチュラルも好きだと思うので見た方がいいです。

わたしもテレビドラマってあんまり見る習慣ないんですけどアンナチュラルを見たのは、わたしの影響でケイゾクや堤作品が好きな妹に「絶対に見た方がいい」と言われたからです。


逆に、じゃあアンナチュラル好きだからケイゾクも絶対見た方がいいの?と言われると、好きかもしれないし、好きじゃないかもしれない。


何故ならケイゾクはちゃんとしてないから…


アンナチュラルとケイゾクはGLAYとDIR EN GREY

わたしがアンナチュラルを最初に見たときに思ったのは「ちゃんとしている…」でした。

ケイゾクがちゃんとしてないというと命削って作った方々には失礼だとは思うんですが、あまりにもアンナチュラルがちゃんとしすぎている、といった方がいいかもしれない。


ケイゾクはかなりバタバタで作られたとか、まだ古い体制だったTBSにおいては新しすぎてたくさん戦わないといけなかったとかって話もあるし、ストーリー展開も行き当たりばったりな感じもあった。

一方アンナチュラルは(これも珍しいらしいですが)放送開始前にすべて撮り終わっていたという。

その違いもあるし、ケイゾクは堤幸彦の作家性みたいなものが結構入り込んでいて、純粋なエンタメ作品とは比較しにくいアート作品の性質もある。

なので、どっちが偉いとかそういう比較をしたいわけではありません。

ただ「アンナチュラルはなんてちゃんとしているんだ」というのが初見の感想でした。


なんというか、ケイゾクやほかの堤植田作品もそうだけど、わたしはそれらに対して「欠陥と引き換えに強い衝撃や興奮を享受してた」「完璧ではないからこそ狂おしいほど愛していた」みたいに思ってた。と思う。

それがアンナチュラルは、全っ然はみ出していない

「ちゃんとしている」の次に思ったのは「ボタンが全部とまってる」だった。
洗濯された真っ白のシャツのボタンは全部綺麗にとまっていて、シワひとつないスーツをビシッと着こなしている。
それなのにクソ真面目のつまらない印象じゃなくて、独創的で美しく、かっこいい。
そういう印象だった。

奇をてらわず、曖昧にせず、正面からまっすぐに、最後まできっちり描き切って、それでこんなに面白くて、自分の中にずっと居座り続けるような”重み”まであるのかよ。

そんなのあり?
それって「完璧」じゃん…

ケイゾクって、ボタンが取れてたり、掛け違えてたりするし、シワシワだし、風呂も入ってないけど、それでもかっこいいって惚れちゃう感じで、だからこそこびりついて離れないんだって思ってたから、なんだろう、ほんとに「すげぇな…」って感じです。


アンナチュラルはどこに出しても恥ずかしくない傑作。

ヴィジュアル系界隈でいうところの
親に紹介できるグレイと
親に紹介できないグレイ

みたいな感じ。
前者はあたりまえに最高だし、後者は紹介できないけど最高なんだから。

だからもしケイゾクを愛してやまない人がアンナチュラルを見たら、優等生すぎると思う人もいるかもしれないけど、作品の面白さは保証します。

逆にケイゾクは人を選ぶかもしれません。

まさにGLAYとDIR EN GREYの話みたいだ。


ここが似てるよアンナチュラルとケイゾク

アンナチュラルとケイゾク。
似てるかというと、似てるー!ってこともないけど、似てなくもない。

基本は一話完結で、終盤に1つの大きな事件に向かっていくフォーマットは同じ。
まあそんなのはよくあるが。

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