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挨拶できないからダメなんて、

入社2年目くらいまで「挨拶ができていない」と叱られていた。


社会に出るまで指摘されたことはない。むしろ他人よりも〝意識〟していたつもりだったのでびっくりした。小学生の頃から優等生で悪目立ちしないよう心がけていたし、人前が恥ずかしいわけでもない。困った。できないことをできるようにするならまだわかる。できていることをできるようにするには、どうしたらいいんだろう。

もしかしてタイミングが早すぎるのかも。目が合ってから言ってみようか。イントネーションが違う?いや、声のトーンが低いのか?

自分なりに改善してみたが、〝意識する〟ほどに言葉が喉に引っかかったり、急に恥ずかしくなったり。焦ってははりきって、ますますぎこちなくなる。何かの拍子でテンポがズレて《miss!!》を連発してしまった音ゲーみたいに。


挨拶できないからダメなやつ。
だから私もダメなやつ。


だんだん人と顔を合わせるのがしんどくなった。してもしていないことになるなら、いっそしない方がマシだと本当に挨拶をやめた。


「俺も社会に出て長いからわかったけど」
ある日、職場の水屋で昼食をとっていたら先輩に声を掛けられた。他部署の上司だが、芸術家肌でちょっと掴みどころがない。
「挨拶はした方が得だよ」
初めてちゃんと喋った。その一言目が注意だなんて。いつもならイラッとするのに不思議と落ち着いていた。当たり前のことを注意するには不釣り合いな切り出し方のせいかもしれない。


「都村さんはいろいろ考えてしまうんだろうけど、挨拶は何回してもいいんだよ」


冷蔵庫から飲み物を取り出すと、先輩は目も合わせずにデスクに戻っていった。
この人は何を言ってるんだろう、と一度はカップ麺をすすり、30秒ほどしてはっとした。


たとえば、朝、下駄箱ですれ違う。「おはよう」と声を掛ける。更衣して事務所に行く。タイムカードの前でまた鉢合わせる。このとき、私はもう挨拶しない。短時間に2回すると、さっき顔を合わせたことを忘れているみたいで失礼だから。


だが実際は、自分が思っているほど周りは気にしていない。なんなら誰に挨拶したか覚えていない人はざらにいる。私にとっては2回目でも、相手にとっては「今日初めて顔合わせたのに挨拶してくれなかった!」となるわけである。文字通り、私は他人より〝意識〟しすぎていたのだ。


他にも、まだ疲れていない時間帯に「お疲れ様」は変だな、とか、初めて掛けてきた電話の相手に「お世話になっております」っていうのも変だよね、とか。自分でも無意識のうちに、勝手にルールを作って縛られていたのである。


たしかに変。変だけど、互いに気持ちがよければそれでもいいのだ。わざわざそんなことで自分の評価を下げるのはもったいない。先輩の言葉で目から鱗が落ちたというか、本当に見える世界が変わった。

挨拶できるとかできないとか、それはその人のステータスではなく、状態でしかないんだと思う。ひょんなことからできるようにもなるし、逆もきっとある。私みたいに。

だから「挨拶できないからダメなやつ」と切り捨てるのは少しだけ待ってみてほしいんです。そこにはその人なりの理由があるかもしれない。きちんと向き合うえば、コミュニケーションの第一歩にも、その人が魅力を発揮する引き金にもなる。

ちなみにその先輩は私が挨拶した4秒後くらいに返してくれる。挨拶にルールはない。どんだけ遅れたってしたらええねん。

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