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M-12022決勝で、いったい何が起こったのか〜3つの事件と2つの課題〜


【作家ツムラのお笑い"知らんけど"論考】


あの饗宴から、はや一カ月が過ぎようとしている。


曰く、
"お笑いに分析は要らない"ー。

王者が張ったバリアーに反して、
(思惑通りか、どうなのか)
まんまと、決勝の分析コメントが内外から溢れた
このひと月。
私も、お笑いに関わる端くれとして、
この一カ月、様々な意見を参照した上で
自分の頭の中をまとめ置くためにも、
"まんまと"、いち分析を記しておこうと思う。

一番遅く、ひっそりと。



あの日、六本木のあの地で、
ある3つの事件が起こった。


1つ目の事件。
それは、トップバッター
「カベポスター」。


"大声大会"は、昨年4月の単独ライブ
「針振れ方位」で産声を上げたネタだ。
ABCグランプリ悲願の優勝を決めた強烈な
兵器(ウェポン)であり、
その美しさ、構成力の感動は他を圧倒するはずで、
このネタがあるからこそ、
"優勝候補"として数えられていた部分も
少なからずあった、そんな彼らは…


見る限り、トップバッターでありながら、
充分にウケを得て、堂々としたパフォーマンスを
見せた…はずだった。


「84」…センセーショナルな数字に、私は
目を見開いた。

ここから後は、説明不要であるが、
ネット上でも「山田さんの得点を抜いたとしても
順位は変わらない」という事実から、
この問題は「解決」とされ、
山田審査員も、YouTubeなどでコメントも出し、
正当な採点だったと認められた様な形と
されているものの、

なぜ私が、これを「事件」と数えているかと
いうと、

やはり、カベポスター「84」は
初採点だったからこその、
採点ミスだったのでは?
という疑念が拭い去れないからである。



次の「真空ジェシカ」が「95」で
カベポスターとは11点差。
この後、この2組を最高→最低点とし、
中11点の中に残りの8組が入る、
特殊な採点。

ひと組目に最低点、ふた組目に最高点が
付くことが果たしてあるのだろうか?
まして、客観的(他の審査員の点数を鑑みても)
にも、そこまでウケや出来に差があったようにも
見られない2組に、そんな点差が…

私は、責められるべきは審査員だと言うつもりは
ない。
実は、このようなことが今後も起こり得る
採点システムにこそ、
M-1の課題が潜んでいるのではないかと
考えるので、後述したい。



2つ目の事件は
5番手の「さや香」ー。
M-1グランプリ2022、おそらく1番の山場を
迎えた、あの「免許返納」のネタ。

大吉氏のコメントにもあったが、
あの瞬間、我々視聴者は
「なにかもの凄いものを観た」。

言葉にしてしまえば、
○ボケ-ツッコミが度々スイッチする漫才←コレ、実は物凄いことをやってる!

なのかもしれないが、
2人の熱が、それ以上の空間を作り出していて、
5番手にして一度、ゴールテープを
切ってしまった感さえあった。


彼らは、新・M-1ではミルクボーイに次ぐ歴代2位の
高得点を叩き出し、
1位でファイナル進出を果たす。


こちらを私が"事件"と捉えたのは、
あまり、この一カ月で指摘されているのを
見ないのだが、
「5番終了時にしてM-1が一度終わってしまった」
という点である。


事実、4番手で登場した
紛れもなく天才
「ロングコートダディ」
が、2位でファイナル進出。

さや香終わりのCM明け、
「ここからが後半戦です」と
明らかに空気がリセットされ
(毎年そこまでハッキリと前後半分けてたかな?)
後半組は「後半戦」として、
前半組とはクッキリと違う空気が始まって
しまったのではないか、という
あくまで偶発的だが、
個人的には指摘したい。


第3の事件は、

"毒漫才"王者の誕生と、

その軌跡に他ならない。


ラスト、10番出番を引いたのちの王者は、
"毒"自のスタイルを「あるなしクイズ」に
落とし込み、会場と審査員を貫いた。

ここが3位通過だったからこその、
続いて、ファイナルが1番出番。

勝因のひとつとして広く言われている
「もっと悪口が欲しかったところへ、連続8分ネタ
としておかわりができた」という
軌跡もあったが、


ここは冷静に見ても、
ファイナル2番だろうが3番だろうが、
1本目10番だった時点で、
票数に前後はあれど、
優勝は揺るがなかっただろうと思う。

それほどまでに、悪口漫才のインパクトは
凄かった。
その凄さを体感したのは、
むしろ、M-1後。

SNSやメディアなどで、
王者に叩かれた"対象者"たちは、
なぜか嬉し顔でプロレスを挑む。

毒の数だけ他人(ひと)を巻き込んで、
すべてを漫才にする漫才。
なんと、パワーのある、なんと"今っぽい"
人達なんだろう。


決勝1本目で客席を巻き込み、
10番出番で、
これまで様々なスタイル、戦略を纏った漫才を
審査し、疲れた審査員を
ある意味「癒した」ネタをやって
毒を植え付けた、王者「ウエストランド」の
勝ち方には、賛否あれど、感嘆するものがある。

さや香とはまた違った意味での
"物凄いネタ"。
これは事件だ。



◆◆


3つの事件を通して、
私は、M-1グランプリに、2つの課題を導き出す。


まず、1つ目。

それは、トップバッター問題。

出順の有利不利である。


数々の賞レースで、度々言われているのに
一向に解決しない、ということは
おそらくこの問題は、賞レースには一生ついて回る
呪いのようなものなのではないか。

ただ、年を重ねるごとに「競技化」している
M-1グランプリ。
競技なのなら尚更、「運」の要素が含まれていては
いけない。


私も、今回の分析で「出順」については
あえてかなり言及させてもらった。
それほどまでに勝敗に絡んだファクターを
「運」の一言で終わらせてよいものか。


そこで、私が考える解決策として、
"アディッショナルポイント"制度
を挙げたい。


つまり、全組のネタ披露を終えた段階で、
審査員が1人10点(点数は適当)
10組の内、総合的に見てさらに点数を追加したい
組に点をあげられるシステムである。


これをやることで、最終3組がどこになるのか
が最後まで分からず、
興を失うどころか、エンタメ性をさらに
上乗せできる可能性だってあるのだ。


もちろんこのルールだと、後半の組にも
追加点がなされる可能性だってあり、
必ずしも、前半出番の不利を是正するもの
にはならないが、
とはいえ、トップバッターに関して言えば、
「基準点」とされていたが、
全組見終えた上で相対的に見ても、
かなり良かったよね、点が入る可能性は高い。
(審査ミスがあったとしたら、その修正も含めて)


M-1決勝の審査とは比較にならないが、
審査経験がある人間からすると、
数組見た後、序盤につけた点数を変更する、は
あるあるである。


命をかけて魂を削って辿り着いた決勝の舞台が
クジ運で終わってしまうのはあまりにも
不憫である。
初めて、間近で一緒にやってきた人間が
その苦渋を味わったのを目の当たりにすると、
やはり、少しでも現状が変わってほしいと
願うばかりだ。
創意と工夫で。


◆◆


2つ目の課題は、

今後の"ウラ"漫才の行方である。


井口氏が語る毒は、
井口氏ならではの目線とユーモアと共感力で、
かつ、それまで叩き続けたキャラクターだからこそ
受け入れられた
"努力の勝利"に違いないものの、


M-1で、謂わゆる"ウラ"を評価することを
どこまで許容するか、
はまさしく2023年以降の新たな課題となった。


噛み砕くと、

予選では、この手のある種の内輪ボケは
むしろ硬くウケて喜ばれるのだが、
これまでは、あまり技術としては評価されず
だった部分…

ここを審査基準としてどうするのか。


もし私が審査員なら、正直迷う。
なぜなら、決勝の舞台でもあの手のボケは
盛り上がることが証明されたし、
前例が王者となったが故、
世の中が"欲しがっている"のかとさえ
思ってしまうがためである。


松本氏は、ワイドナショーでは
次以降は同じ方法は使えない、と
宣言していたものの、
許容範囲が広がった部分は確実にある。

と、そこを許してしまうと、懸念されるのが
いわゆる"正統派"が、さらに不利になるという不安だ。

現実(リアル)の話をされてしまうと、
その後の虚構が尚更虚構に感じられてしまうのである。

漫才のスタイルはいつだって自由だ。
自由であっていい。
だからこそ、審査は冷静かつ公平であってほしい。

目新しさも
毒も
技術も

公平に。



◆◆◆


総じて、色々考えさせられる
M-1ではあったが、
それ以上に楽しかったし、
何より、さらに進化を見せられた大会だった。


チャンピオンはもちろんだが、
準優勝のさや香は刀ひとつで戦った武士(もののふ)
だったし、
ロングコートダディは、
ただただ天才の証明だった。

敗者復活も…なんなら
準々決勝だって
予選3回戦だって

素晴らしい漫才師がひしめき合っていた。


誰が勝つか分からないー
エンタメの最高峰で斬り合う
soldierたちに、心からの拍手と期待を。


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