私がnoteを更新したということは何か心が大きく動く出来事があったということで、

今日の日付が変わってすぐにミセスの「Soranji」の配信が開始された。
この曲は『ラーゲリより愛を込めて』という戦後映画の主題歌に抜擢されている曲で、それは映画の題材にもぴたりとくる大切で愛しいだれかに向けた詩であるともとれたし、大森さんが「とにかく僕の、誰かの、弱さに寄り添ってくれるといいな。」と言っていたようにまるで私たちの生と弱さに寄り添うかのような詩ともとれた。鮮麗で華々しい一曲だった。

「Soranji」

この曲名としての語がどのような意味なのか、造語なのか当て字なのか、調べてみても「soranji」という言葉は見つからなかった。「諳んず・諳んじる」という言葉があるが、それはいわば暗唱を意味する言葉であって、これは「Soranji」にはしっくりこないかなあと思った。シングルがリリースされた後にどこかの機会で大森さんが口にしてくれると嬉しいのだけれど。


「貴方に会いたくて生まれてきたんだよ」

それは映画で幡男がモジミに対して、モジミが幡男に対して抱いていたように(まだ観ていないけど特報を見た限り)、私がミセスに対して抱いている愛しさみたいなものと似ていてこのワンフレーズからグッと大森ワールドに引き込まれた。学生時代にクラスに必ず一人、その人が口を開くとみんながそれを聞いてしまうような惹きつける力を持っているクラスメートがいたと思うのだけれど、それに近しいものを感じた。

「当たり前に進んでゆく皆んなについて行こうと頑張っています」
「まあよくぞここまで大事にして抱えてこれましたね」

水面に垂らしたインクがじんわりと広がっていくかのように一音一音と一言一言がきれいに混じっていくような感覚。力強く歌い出したかと思えばAメロは少し切なくて、Bメロはもっと切なくて、胸がギュッと締まる。曲の初めから終わりまでずっと切ない歌詞が続いている。サビの耳触りの良いメロディと大森さんの高く響く声、それに歌詞たちが相まって自然と生きなきゃと思わされる。

「まだ消えちゃいないよちっちゃな希望を
何とか信じて 信じて欲しい。」
「何とか生きて 生きて欲しい。」
「我らは尊い。」

これは義務付けられたり強制されたり、そういう意味じゃなくて、ちゃんとこの曲をかみしめたうえで私が私の意思を持って生きなきゃと思わされる。

「寂しさの甲斐は無い」

2番のAメロに入ってすぐのこの歌詞がすごく私の心に刺さって、人間は人それぞれ感情の豊かさだとか繊細さだとかは違えどきっと誰しもの中に「感情」というものがあるわけで、だから「寂しさ」って生きているとどうしても感じてしまうものだから避けようがないと思うもの。だけど、寂しさを覚えてしまったところで自分で何らかの形であらわさない限り、それを誰かが感じ取って手を差し伸べてくれるだなんて、人生はそんなに甘くはできていない。だからこそ生きるのって難しい。寂しさを感じてしまったところでその甲斐なんて存在しないのだから。そう一丁前に結論付けてしまうほどにピンときた歌詞だった。

「まだ伝えてないよ今日の分の『大好き』を
未来でも変わらず届けられますように」
「この世が終わるその日に
明日の予定を立てよう
そうやって生きて 生きてみよう。」

サビの歌詞、人生の教科書に大きく書きたいぐらい偉大な綴りだと思う。私は「愛」という感情を表にあらわにするのがあまり得意ではなくて、その表し方が分からなくていつも飲み込んでしまう。こんなふうに誰の目にもつかないようなところで遠回しに隠し隠しに長ったらしくて回りくどい文章でしか表現できない。でもそういった気持ちをしっかりと相手に伝えるのは本当に大事なことで、しかもそれは期限付きで相手が目の前からふいに消えてしまったらもう伝えられなくなってしまう。今も、それから未来でも伝え続けたい愛ってこれ以上ないほど尊いものだと思う。きっと映画を観たらその尊さがさらに増すのだろうと思うと、なんて素敵な言葉なのだろうと思う。

「まだ消しちゃいけないよちっちゃな希望を
迷わず信じて 信じて欲しい。」

ラスサビのこの歌詞、1番のサビでは「まだ消えちゃいないよ」「何とか信じて」だったのに、ここで「まだ消しちゃいけないよ」「迷わず信じて」と歌い切ってしまうところ、まだ消えずになんとか灯っている小さな希望をこれからは消してしまわないよう自分で灯して、それを迷わずに信じて生きてほしいというメッセージにとれて生きる強さをまたミセスからもらってしまった。

「暗闇が続こうと貴方を探していたい
だから生きて 生きてて欲しい。」
「一歩ずつでいいからさ
何気ない今日をただ愛して欲しい。」

また、生きなきゃと思わされてしまった。

生きている時間を重ねれば重ねるほど生きるのってすごく難しくて大変で、きっとそれを強く感じているのは私よりももっくんの方で、だからミセスはこんなにも生を意識した共感できる曲で満ち満ちているんだよね。でも、生きる尊さみたいなものをちゃんと分かっているのもきっと私よりももっくんの方で、だからこそなのだろうけれど、生きる活力、いわばエールだとか生きる強さをくれる力が秘められた曲もあふれている。対極に見えるこの「生きる」ことの”難しさ”と”尊さ”を一曲に込めてしまうのがもっくんのすごいところだと思うの。

「Soranji」も例外ではなくて、尚且つ「よくここまで生きてきたね」という今この曲を聞いている私だけじゃなくて、今まで頑張ってきた私のことも全部ひっくるめて腕を広げて暖かく包んでくれる。そんな曲だと思う。


暖かいけれどどこか寂しくて切なくて、ミセスってそういう一つの言葉では形容し難い曲が多いと思う。私にもミセスの中で好きな曲は沢山あるけれど、好きでいて尚且つ私の人生の核というか概念みたいなものにグッサリ刺さった曲ってなるとやはり数は絞られてきてしまう。私にとっては「Circle」がすごく大切な曲でまさにその人生の核に刺さっている曲の一つなのだけれど、一度聞いただけでも十分、「Soranji」からも同じオーラを感じてしまった。きっと「Soranji」も、映画と相まってはもちろんだけれど、映画と切り離して一つの曲としても私にとって大事にして抱えながら生きていく曲になるだろうなと思った。

こんなにも素敵な曲を生きているうちに聞くことができただけでも私は十分生きていてよかったと思うし、これからも生きなきゃなと思うよ。生きたい。この曲を、あくまでも映画がメインとはいえ映画館で聞くことができると考えたら、もうそれだけで心がキュッと切なくなる。この曲を、一映画の主題歌としてではなくライブで、Mrs.GREEN APPLEの一曲として聞ける未来があるかもしれないと考えたら、心臓が握り潰されそうになるぐらい心がギュッとなるし暖かい気持ちにもなる。

「Soranji」のシングルのカップリングには、「私は最強」と「フロリジナル」が入っている。私は最強はAdoちゃんへの描き下ろし楽曲だけど今回は大森さんのセルフカバーで、フロリジナルは香水とコラボした楽曲。ワンピースの方は未だに観に行っていないし、香水の方は買っていないけれど二曲とも聞けるのが本当に楽しみ。





私は常々ミセスに「生きる」ということの意味や大切さを教えてもらっているし、貴方たちの存在が私の生きる活力になっていたり、時には助けてもらったりもしているんだよ。本当に、愛してます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?