生前の約束


生前の約束


「怖くて怖くて、たまらないのです」
そう言う少女の目は、どこまでも静かな湖面のようで、
なんの色も読み取れない

なにが怖いのだ?
そう問うと、少女は相変わらず前をひたと見つめて言葉を紡いだ
「存在することです」

それを言って、少女は押し黙ってしまった
永遠の時間が経ってから、少女はまた口を開く
「あなたは、存在するものに、存在の意味を与えないまま、送り出しになるのでしょう」
それまでガラス細工のように動かなかった少女の目から、
ほろほろと涙が零れる
しかし、それは、一度も下へ落ちることなく消えていく

「あなたが、意味を与えないから、存在するものは囚われるしかないのです
自らを囚われの身にすることでしか、存在し得ないのです」
涙で潤んだ少女の目は、やはり動かない
早朝の湖面のように、どんな色も映さない
そのまま、少女はゆっくりと首を振った
「わたしは、囚われたくない
存在に、囚われたくない
このまま、ただ、さまよっていたいだけ」
つぶやきは、だんだんと小さくなっていく
代わりに、少女の目から流れ落ちる涙は、とめどなく溢れ続ける
どんなに溢れても、それらはすぐに消えてしまう

肩のあたりで揃えられた少女の髪を、そっと撫でてみる
おまえの言うことはよくわかった
おまえが、なにを恐れているのかも
少女はされるままになりながら、ことんと首をかしげる
髪がさらさらと音を立てた

「わたし、あなたとここにいたい
ずっと、いてはだめですか」
少女を見つめ、ゆっくりと首を振る
それはできぬ
だが、一つ、約束をしよう
そう言って、少女の耳に唇をつける
ささやきを聞いた少女の目が、大きく見開かれる
その目に、初めて色が宿った
湖面に漣がたち、ぽつんと一つ、涙が零れる
その涙は、しかし、
消えることなく、落ち続ける
落ち続け、落ち続けー

やっとそのひとしずくが
たどりついたとき、

セカイの裏側で
おぎゃあと一声、赤ん坊が泣いた



日本現代詩人会 詩投稿欄にて佳作に選んでいただきましたhttps://www.japan-poets-association.com/contribute/

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