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仏も昔は凡夫なりの話

リテラシーってなんだ?

ーーそれは友人との会話だったか、Youtubeで動画をチラ見ている時だったか。
この五文字のカタカナに対し、突然降って湧いた様な疑問にゲシュタルト崩壊を覚えた私は思わずググってみた。

広辞苑老子曰く、リテラシーとは

リテラシー[literacy]
①読み書きの能力。識字能力。
②特定分野の知識や、それを活用する能力。
「コンピューター━」
「メディア━」
関連語
大分類‖力‖ちから
中分類‖能力‖のうりょく
・・・

恐らく多くの人が語るリテラシーとは、②の方であろう。
現代には多種多様なカタカナ語が存在しているが、なるほどそんな意味だったかと。ゴクリと固唾をがぶ飲みする私。ーーか、簡単に云うと、身につけた技術を上手く活用する術とでも云う事なのだろうか。

昨今、「マネーリテラシー」「コンピューターリテラシー」「情報リテラシー」「ネットリテラシー」など、”リテラシー”と検索しただけで多種多様なリテラシーが散見される。

さて私には一体何のリテラシーがあるのだろう。一体何の特技があってそれを上手く活用出来ているのだろう。と自問自答してみるが、直ぐに私は大したモノがない存在なのだと気付かされた。

ーーその技術を以て仕事をしているのだから、強いていうのならばITリテラシーは多少はあるのだろうか。と私は一番に期待する。しかし、この技術・知識はこの先どこまで通用するのか。私はそれが怖い。
ITの世界は足が早い。つい数年前に身につけた最新技術は直ぐに次世代の技術に淘汰され、一線では活躍出来なくなる。置いてけぼりを食らうなんて事はザラなのだ。
お客さんや職場が最新の設備に投資しなければ、個人という単位で最新の技術を追い続けるなんて事は、コストの面では大凡不可能に近い。実機に触れてのシステムエンジニアである。
何年前の話だったか、「二位じゃダメなんですか?」と財布の紐を絞ったこの国は、その考えがやがて社会から会社に伝播し、新しい技術を求め続けるという意欲を熱狂的に否定した。その結果生まれたコスト削減、現状維持のシステム保守に最新技術はそう簡単には芽吹かない。
何を否定する訳ではないが、この社会でITリテラシーを磨き続けるというのは殊の外難しい状態に近くなっているのが現状だ。第一線に出たいのならば、海外に。それでも良いのかもしれないけれど、なんか寂しい気もする。

ーー次に考えるのはマネーリテラシーだろうか。お金とは一億総求める何かに変わる対価である。何を欲するにしても、何を行うにしても、何を捌くにしても、お金は絡む。

私の愛するかの相田みつを先生も仰っている。

”金が人生のすべてではないが 有れば便利 無いと不便です 便利のほうがいいなあ”
                                Mitsuwo

この資本主義社会の日本に生まれたからには、全国レベルじゃなくてもいいけど、人よりも稼いでいたい。せめて親族の中では一番に稼ぎ頭でいたい。そういった気持ちが、私の中で芽生えた中学三年生の頃の決心。人生のライバルは親族と定めた。
それから二十余年が経ち、社会人も脂の乗った三十代の頃。あの時目指した大人の姿に私は成れているのだろうか、と自問自答してみる。しかし如何してあの頃目標とした壁は年々高くなる一方で、悲しいかな私の跳躍力ではその高さに全く届いていない。目指した背中に追いつく事も無く、間も無く彼らはゴールテープを切ろうとしている訳だ。

私には秀でた才は無い。ノーリテラシーな人間である。
人間四十を目前としている今、新たな得意分野を見つけ、その世界に賭けてみるのも一興な頃合いなのかもしれない。

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