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6月22日 死んだ友人についてつらつらと

お久しぶりです。
永らくやっていませんでした、津麦ツグムです。
なんでかと言われれば、いくらでも言い訳は浮かぶのですがまあ、簡単にまとめてなおかつ正直に申し上げるならば「なんか気が向かなくて・・・」です。

現在は、仕事が基本テレワークで週休2日制。
大変ありがたいことにだいぶ余裕のある生活をさせていただいています。
QOLって大事。ほんとに。特に30歳過ぎるともうダメ。死ぬ。
昼の12:30~21:30まで働いてそのあと残業してそのまま飲み屋に行って午前2時まで飲んでるみたいな生活マジで無理。死ぬ。

ということで、言い訳のしようがないほど仕事をぼちぼちして、まあ余暇は携帯をぽちぽちいじったりアニメ見たりするつまんねー何にもない生活をしておりました。津麦ツグムです。

さて、今回は金曜日ということでうっかりテンションがあがり、また、なんだか色々と感傷的になっちゃう曲をまあまあな音量で家で流してしまったことでうっかりもう6、7年前に死んでしまった友人のことを思い出すなどしてしまいました。

なかなか友人などにいうにしたって特にオチもなく、ただ私のセンチメンタリズムの噴出でしかない排泄物に近いものなのでここいらで発散してしまおうという魂胆です。
物好きな皆様、どうぞお付き合いくださいませ。

夏が近づくと、どうしたって思い出してしまう人がいます。
彼とは小中と同じ学校に通っていました。田舎だったので別に珍しいことでもありません。同じ校区内で育って、たまたま家も近くて。
ちょっと惚けた顔で、何を見てるかよくわからない目をしていて、ひょうきんで、足だけやたらと速くて、どうにもすっとぼけた男の子でした。
一番子供時代で覚えているのは、携帯替わりに家から電話の子機を持ってきて「繋がらない」とへらへら笑ってそのまま家に帰っていった彼の後ろ姿です。
20歳になり成人式で再開した彼は、相変わらずすっとぼけた奴で「ツグム、美人になったけど中身は変わんないなあ」とお世辞なんだかよくわからないことを言ってへらへらと笑っていました。
草食動物のような穏やかで何を考えているかわからない目が私は好きでした。なんとなく、勝手に、彼は嘘や欺瞞や、見栄といったそういう面倒くさい世界とは違う世界に生きているような気がしていました。

彼が病床に伏していることを知ったのは、成人式後に交換したフェイスブックからでした。
詳しい病状は語られていませんでしたが、どうやら癌に近いものらしく特に顔周りが侵される病気のようで、アップロードされる写真の彼はお面をしていました。
でも、彼の特徴をよくとらえたお面で私は能天気に「あいつらしいな」くらいしか思っていませんでした。
私は地元を離れ、就職をして、毎日うまくいかないことや悩むことなどで忙殺されていました。
恋人を作る余裕もなく、友人も少なく、毎日の仕事をするので精一杯。
唯一気が抜けておしゃべりできるのは歩いて2分の場所にある焼き鳥屋の大将だけでした。
まだ当時23かそこらの私を大将は可愛がってくれ、私のつまらない話を笑顔で聞いてくれたり、「試作品だから食べてくれ」や「まかないのあまりなんだけど」「お客さんからもらったから」と何かと理由をつけて私に食べ物を食べさせてくれていました。
当時の私は大将の優しさがよくわかっていないものの、ありがたく美味しすぎる試作品やまかないとは思えないボリュームのまかないを有難く食べさせてもらっていました。

ある日、親と電話していた時に「○○くんが亡くなったみたいなのよね」と言われました。
私は茫然としながら、いつもの通りベランダでタバコを吸いました。
どうしよう、と思いました。
お金はない。
休みだってない。
仕事は山積みで、急にこんな新人が。
親でも祖父母でもない人間のために休みを取るなんて。

私は結局今周りにいる、私を含めた生きている人間を取りました。

数日後に親と話したとき、彼の葬儀には私の同級生、特に私を含めた近い地域に住んでいた人々が参列したと聞きました。
私は後悔と、開き直りの間をずっとうろうろ、うろうろと彷徨いました。

なんて冷淡で薄情な人間なんだろう、という自責の念もありましたがそうは言っても死んだ人間よりも私にとって大事なのはこれからの生活でお世話になる職場や仕事仲間との信頼関係だ、という弁明。
もしかしたら、あの時上司に相談したら何か変わっていたのかもしれません。
ただ悪戯に自責の念を抱える人間を増やすだけだったということもあり得ます。
そのくらい私の職場は人もおらずギリギリの状態で回っていました。

未だに、彼の墓参りさえ行けていません。
私はあまり宗教を信じられない性質なので、彼の墓に行ったところで彼には何の影響も与えないと思ってしまいます。
骨になって地中に埋められた彼に、何が伝えられるだろうか、と思うと虚しい気持ちになります。

ただ、毎年このくらいの時期になると。
彼の正確な命日さえ覚えていられない薄情者のくせに。
お酒の飲んで理性のタガが外れると。
彼のことを思い出してずいぶんと感傷的になってしまいます。

もちろん、悲劇のヒロインぶって感傷的になりすぎる薄情者という誹りは逃れられません。
ただ、私は果たしてどうするのが正しかったのだろうか、という気持ちがあります。
仕事をほっぽり出して、生きてる人たちに迷惑をかけて、それでも病と闘い見る影もなくなった彼の最後の姿を覚えているべきだったのだろうかと。

変に気を遣わせると思い、私は職場の誰にも友人が死んでしまったということを伝えずにいました。
でも、私は誰かに言ってしまいたかった。
悲しいこと、葬式にもいかなかった薄情者のくせに、一人前にさみしいと思っていること。
「会わない」ということと「もう会えない」ということの大きな違いを私はその時初めて知ったこと。
会わないは平気なのに、会えないと思うと切なくて仕方がないこと。
彼が、いいやつだったこと。
彼が、やさしいやつだったこと。
彼が、ひょうきんなやつだったこと。

私は近所の焼き鳥屋の大将にだけ、できるだけの笑顔で「友達が死んじゃったんですよね」と伝えました。
大将はきっといい迷惑だったと思う。
そんなこと言われても困るだろう。
少なくとも私はお客さんからそんなこと言われたらだいぶ困ります。

大将は、口数少なに「あまり無理しちゃいかんよ」と言ってお酒を出してくれました。
それだけで私は比較的救われたような気持ちになりました。

でも、毎年、毎年、毎年、もう6年近く、この時期に。
彼が死んでしまったこの時期に。
泣き出したくなります。
生きてる周りを選んだ自分の選択が正しいのか、間違っていたのか、といったことや。
仕方がない、で済ませられるほど当時は若くなくて。

一生この時期に一度は思い出して泣くのだろうな、という予感がします。
それはそれで、彼を思い出すという供養や手向けになるのならば仕方ないと思いますが。
やさしくて、おだやかで、ひょうきんで、どっか抜けている彼はそんなことで喜ぶだろうか、とふと思ったりします。
もしも彼が幽霊として私の近くに現れたとしても「お前みたいなのでも、家族ができてよかったよ」とだけ言ってどこかもっと楽しそうなところにさっさと遊びに行ってしまう気がします。

ここで私の懺悔やら悔恨やらを書き残すことで、いったんの供養にしようと思います。
たぶん彼はそんなことは望んでいないでしょうが。
デフォルトの困ったような、穏やかな顔で「別に・・・いいよ?」と言いそうですが。

センチメンタルマックスになった曲↓



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