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父と私~死に際は生き様だと学んだ19歳の日~

約四半世紀遡ること6月9日。
 
昏睡状態のまま父が涙を流します。
そしてまもなく心臓が止まりました。

  
 
ふと父雑記。 
 
・・・
 
3年後の夏至。
私は父が生きた年齢を越えます。
どんな感情になるのかな。 
 
・・・
 
父は仲間に恵まれた人でした。 
 
 
途切れることなく人がやってくる通夜。
パトカーがくるほど人で溢れたお葬式。
棺桶の父に再会して泣き崩れる仲間や友人。 
 
家族の私が参列者を幾度も慰めた記憶があります。 
 
 
父はたくさんの人から愛されていたようです。 
 
死後20年以上が経過する今でも、命日付近には仲間が集ってくれます。 
 
母の生きる糧の一つに違いないです。
もちろん私たち子どもも。 

 
死後も家族を守り続ける父は偉大やな。
 
・・・
 
また、父はかなりの変わり者でした。
 
 
数値でいうなれば、数学で「偏差値90」以上をたたきだす変人。 
 
嘘つけとつっこんだら証拠書類残存。
信じるより仕方ない高校生の私。 
どんな作成方法の全国模試やねん。。。
 
 
とにかく。
 
普通とか一般的とかにとらわれない人だった気がします。 
 
 
 
おかげさまで兄姉妹全員が軽く社会不適合者に育ちました。 
 
・・・ 
 
さらに、父はかなりの努力家でした。 
 
 
経営者だった父。
学びが趣味だったのかな。 
 
毎朝ズラリと並ぶ新聞。
本棚にやたら場所をとるブリタニカ。
インターネット黎明期のでかいパソコン。 
 
私は小難しい情報を浴びて幼少期を過ごします。父との会話はとても楽しくてワクワクしました。ただ、サッパリわけわからんかったけど。
 
 
 
スポーツも趣味だった父。 
なかでもバスケが大好きでした。 
 
土日になるとバスケ三昧。
練習と試合へは家族総出。 
自宅にもしょっちゅう誰か出入り。
 
バスケを通じて、大人が必死になったり楽しんだりする姿は、幼い私にとってかなりクールな景色やったかな。
 
・ 

感化された子どもたちも全員バスケに興じた人生です。 
 
創立まもないミニバスで父はコーチに。
ボーっとキャプテンをしていた私。
父と近畿大会に出場するのが夢でした。 

そして地区大会年間全戦1敗の高成績を残します。
だけど負けた1敗が近畿大会へ続く試合。
レベルは違えどリアルスラムダンク!!
 
試合後の父の言葉を今も覚えています。
 
 
 
「この負けをどう今後につなげるか」 
 
 
 
悔しくて泣いとる暇もありゃしない。
笑顔でボッコボコにされるキャプテンの私。
 
 
 
とにかく父の好物は努力で間違いないです。 
 
・・・ 
 
最後に。
父は母を全力で愛する人でした。 
 
 
口数は多くありませんが鼻歌はしょっちゅう。 
 
「うちのパパはうちのママをあ~いし~てる~」 
 
家庭内で永遠リピートする父。 
素無視の子どもたち。
 
  
 
父の母に対する言葉や行動には愛が詰まっていたような気がします。 
 
子育て不向きな変わり者の父。
子育て不向きな天真爛漫の母。 
 
 
だけど。
 
ふたりの愛し合っている姿はなによりの子育てだったかな。 
 
・・・  
 
長女の私は幼いころから異常にしっかり者風でした。
 
父の希望により、病室で家族ひとりひとりとしたお別れの会話。
 
 
 しっかりしとると勘違いしとった。
 寂しい思いさせてしもたな。
 かまってやらんで悪かった。
 
 まどかのパートナー選びだけが気がかりや。
 ええ人見つけろよ。 
 
と父。 
 
 
 
もっと素直に甘えればよかったな。 
 
・・・
 
親になった今。
父の心配的中どおり。
テンヤワンヤの人生。 
 
相手は自分を映す鏡。
学びの日々です。
 
でも。 
しっかり者の長男タロウを全力でかまっています。 
強制的にしっかりしてきた次男ジロウもです。

そういや。
わけわからん愛の鼻歌タロジロに口ずさんでるわ、私。
 
 
 
お父さん。 
私にもすてきな仲間がおるよ。 
人を愛することを教えてくれてありがとう。 
 
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【父と私~死に際は生き様だと学んだ19歳~】Facebook編(2021.06.09記)

 
▼変態の巣窟コミュニティ「キラキラ村」

▼国会院内集会スピーチ「私は社会から抹消された母親です」


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