ねこが死んだ

 ねこが死んだ。15歳だった。人間でいうと80歳超えのおじいちゃん。夏に体調を崩して体重が激減してから半年、よく持ったと思う。
 最大で6.4kgあったのに、ここ数ヶ月はもう骨しか残ってないように見えた。ぎりぎり2kgあるかどうか。体調を崩したときは2.5kg。獣医さんからは、2kg切ったらいつどうなるか分からない、と言われていた。
 抱っこしてもゴツゴツで、骨ばっていた。あの柔らかな身体が、どんどん病で小さくなっていった。膝に乗ってきても、ほとんど重さを感じなくなってしまった。頭をなでても、骨の形がわかるくらいに顔が痩せていた。背骨はまるでステゴサウルスだった。痩せすぎて眼球が出っ張ってしまって、よく涙をぽろぽろ流していた。それでも、可愛かった。愛おしかった。
 私の部屋に入りたくて、ナ〜と鳴く姿が好きだった。入れてあげると、しばらくウロウロして私のベッドでくつろいだあと、もうええわって感じで部屋を出ていくのも、ねこらしくて笑ってしまった。
 あったかい場所を見つけるのが得意で、風呂上がりの人間は格好の餌食だった。毎年冬になると私の部屋に入り浸った。冬でも暖房いらずで20度を超える部屋だったからだ。夏になるとぴたりと来なくなる。父の部屋が涼しいから、ブラウンの布団に紛れるようにしてピスピスと鼻息を立てながら寝ていた。
 私がうつ伏せに寝転んでスマホをいじっていると、ねこは腕の中に入って丸まった。そこに顔を埋めると、もっと触ってとお腹をさらした。そうやってお腹を見せてくれることが、何よりも幸せだった。

 ねこが死んだ。その日は偶然、残業が続いていたから、定時よりも早く退勤した日だった。退勤した3分後に、ねこがもう起き上がらないと母から連絡があった。朝までもたないかも、と。ついに来てしまったと思った。一度体調を崩してからは、母から連絡が来るのが怖かった。母から連絡がある度に、ねこに何かあったんじゃないかとヒヤヒヤした。連絡を見たとき、ヒュッと喉の奥が鳴った気がした。
 一度家に帰って、泊まりの準備をしてから実家に戻ろうか、このまま実家に寄ろうか、悩んで後者にした。正解だった。実家についたら、ねこはもうほとんど息をしていなかった。ほんの少しだけ、お腹が上下しているのが見て取れた。どこを触っても、反応しなかった。手足が冷たく、力が入っていなかった。名前を呼んだ。目が虚ろだった。私が実家につく少し前から、まばたきをしなくなってしまったようだった。声が届いていたのか、私が来たことが分かったのか、しばらくして、かすかにしていた息も止まって、ねこは旅立った。
 きっと私が来ると信じて、がんばって堪えていたんだろう。きっと最後までいつもの景色を見ていたくて、目を開けていたんだろう。最期に一緒にいられてよかった。ひとりで逝かせなくてよかった。
 いつも通り仕事をしていたら、間に合わなかった。後悔していたところだった。偶然だけど、偶然じゃなかったんだろう。
 3日前、夢を見た。ねこが出てきた。全盛期のむちむちの姿で、もりもりご飯を食べていた。なんか太った?元気になったね、と夢の中で話していた。そのときは何も思わなかったけど、今思ってみれば知らせに来てくれていたのかもしれない。

 ねこが死んだ。これまでも経験したことはある。最初は中学生の時。弟が拾ってきた手のひらサイズの子ねこは、1週間も経たずに天国に行った。次は大学生の時。うちの車の下でうずくまっているところを保護した子ねこだ。当日に病院に連れて行ったら、検査を受けて、「日本では稀」と注釈のついた寄生虫の写真を見せられた。お腹に虫がついていて、その日の夜中に息を引き取った。

 ねこが死ぬという経験はしていても、やっぱり15年以上一緒に過ごしたねこを失うのは、特別なものだった。自分の半身を失ったような、特別な感覚がある。家族全員で泣いた。私たちは辛いけど、ねこは辛い身体から解放されて、天国で美味しいものをおなかいっぱい食べているだろう。そう思うと、少し安心した。
 平均的な、いわゆるねこらしいねこだったと思う。食い意地がはっていて、人間の食べ物にも興味津々だった。高校生のとき、学校に持っていくお弁当の一部がすっぽり抜けていて、あれ?と思ったら、ねこが唐揚げをこっそり食べていたことがあった。天国ではちゅ〜るでも人間の食べ物でも、なんでも食べたいものを食べて過ごしてくれるといいなと思う。

 私がそっちに行くのは、もう少し先だと思うけど、気長に待っててくれると嬉しいな。うちに来て、幸せだったかな。次に会ったときに教えてほしいな。
 家族になってくれてありがとう。いつまでも、大好きだよ。


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