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サニーサイドアップ

 由美ちゃんは、目玉焼きが食べられない。黄身だけで食べることができないから、茹で卵も嫌い。どろっとした食感が苦手だから、生卵も食べられないし、半熟卵ですら口にできない。唯一、黄身と白身がしっかり混ざった甘い卵焼きは大好き。だけれど、朝食に卵焼きばかり出すわけにはいかないから、目玉焼きを作るときは手順がある。はじめに卵をボウルに割り入れる。次に、油を引いたフライパンの上に卵をそうっとのせたら、お箸で黄身を2、3回潰すのだ。フライパンを傾け、卵を薄く広げて数分焼いたら、フライ返しでぱたん、ぱたんと広げた卵をたたんでいく。できるだけ、小さく、小さく。これで、三口で食べられる由美ちゃんのための目玉焼きが完成する。ケチャップが嫌いだから、お醤油を少し垂らして食卓へ。これが我が家の朝食だ。

 そのはずだったのに、今、私の目の前であの由美ちゃんが半熟の目玉焼きを食べている。私の好きな片面だけ焼いた目玉焼き。お水を入れたら、蓋をして弱火で2分。教えたわけでもないのにきれいに作れるようになったのね。
「なに」
お箸を片手に由美ちゃんがため息をつく。
「ううん。目玉焼き、上手だなって」
「だめなの」
「そんなことないわよ。褒めただけ」
最近の由美ちゃんはとっても冷たい。少し前までは、大きな通園バッグを肩にかけ、帽子を被って幼稚園へ通っていたのに。毎朝泣きながら幼稚園のバスに乗っていた由美ちゃんも、目玉焼きを頑張って食べる由美ちゃんも、もうどこにもいない。

 朝食を食べる由美ちゃんの目の前で、マグカップを口に運んだり、手帳を開いてみたりしていたら、由美ちゃんが私の指先に気づいた。
「あ、これね、昨日やってもらったのよ。いい色でしょう。って言ってもお客様の目に触れるからね、ピンクかベージュじゃないとだめなんだって。でもね、ストーンは1つまでならいいって。だからね、中指と親指につけてもらったのよ」
「へえ」
思った以上に由美ちゃんの反応は薄かった。少し、しゃべりすぎたかしら。由美ちゃんも高校生になったことだし、私は1カ月前にパートを始めた。そして一昨日、お給料が振り込まれたから、初めてネイルサロンへ行ってみたのだ。
「あ、それでね、ケーキを買ったのよ。冷蔵庫にまだあってね。お父さんにも昨日見せたんだけど、食べなかったから、由美ちゃん、食べてね」
「いらない」
そうよね。今はお腹いっぱいだもの。由美ちゃんが好きなチョコレートモンブランなんだけどな。「でもね」と、もう一言だけ付け足したい口をそっとつぐむ。
「ママ」
食べ終えた食器を重ねながら、由美ちゃんが口を開いた。
「掃除、もう少しちゃんとしたら」
由美ちゃんの吐き捨てた言葉を前に、私の時が止まった気がした。怖くて、爪先から目線を上げることができない。寂しく光る4つのストーン。偽物の輝きに浮足立っていた私は、バカみたいだ。


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