見出し画像

どちりなの祈り|伍|コロハの祈り

こんばんは、躓くロバです。
退職の意を示してから居心地が悪いです。

さて、今回のテーマは「コロハの祈り」です。
シリーズどちりなの祈りの最終章です。
このお祈り、管見の限り現存しない謎のお祈りです。
この記事ではその謎に少しだけ迫ってみます。

画像1

1. 主の祈り(=パアテル ノステル, 『どちりな』第三章 )
2. アヴェ・マリアの祈り(=アべ マリヤ, 『どちりな』第四章)
3. 元后あわれみの母(=サルベ レジナ, 『どちりな』第五章)
4. ロザリオの祈り(=ロザイロ, 『どちりな』第四章第一節)
5. コロハの祈り(=コロハのオラショ, 『どちりな』第四章第五節)


『どちりな』におけるコロハについて

さっそく原文を見てみましょう。

みぎロザイロのほかにたつときビルゼン マリヤのコロハと申て、六十三の御よはひにたいし、パアテル ノステル六くはん、アベ マリヤ六十三ぐはん申あぐる事もあり。しかればパアテル ノステルいちくはん、アベ マリヤ十くはんごとにくはんねん觀念をなしたく、みぎロザイロ十五かでうのうちより、いづれのかでうをなりともあてがふてくはんずべし。(ibid., pp.38-39)

ロザイロのほかにマリヤのコロハといって、63の年齢にちなんで、主の祈り6回、アヴェ・マリアの祈り63回唱えることもある。主の祈り1回、アヴェ・マリアの祈り10回ごとに黙想したければ、ロザイロの15の黙想のうち任意に選びましょう。

初見ロバの感想。

コロハって何?
63の年齢って何?
6で割り切れなくない?(アヴェ・マリア3回あまっちゃう!)

大きくこの3つの疑問に引っかかったのですが、『どちりな』本文でコロハのオラショについての記述は後にも先にもここだけ。なんてこった。

コロハという言葉については巻末付録に次のように書いてある。

コロハ Coroa 冠。花冠。(ibid., p.ii)

これだけかーい。これだけじゃ考察もできない。データが足りないよ。
そんなわけで別の参考文献を当たりましょう。

『コンテムツス・ムンヂ』におけるコロハ

『どちりな』と似た背景を持つキリシタン文学で、コロハって出てこないかしらん。それをきっかけに何か分かるかもしれない。

そんなことを思って教文館や神保町を徘徊しました。
その中で、次の2つの本の中でコロハについての記述がありました。
一つは『コンテムツス・ムンヂ』。もう一つは『おらしよの翻訳』です。

前者は『イミタチオ・クリスティ』あるいは『キリストにならいて』という題で知られている本で、結構有名な本です。どのくらい有名かといえば、岩波文庫から出ているくらい有名です。
ちなみに書名の由来についてですが、第一章の章題 De Imitatione Cristi et Contemptu Omnium Vanitatum Mundi (キリストにならふこと、すべての世俗的虚栄を蔑視することについて)から、ラテン語のタイトルがcontemptus mundi (世を厭う)となり、それが『コンテムツス・ムンヂ』と表現されたようです(「世を厭う」にちなんで『厭世録』とか『捨世録』とか呼ばれることもあります)。

さて、岩波文庫の紹介文によると「修道士たちの精神生活の完成のため」に書かれた、「世界中で聖書についで最もよく読まれた書物」と称される本です。すごいな。
さて、とても有名な本なので、戦国時代にも翻訳されました。吉利支丹版としては2種類現存しています。一つは1596年に天草で出版されたとされるローマ字本『コンテムツス・ムンヂ』、もう一つは1610年に原田アントニヨが刊行した国字本『こんてむつすむん地』。
1596年のローマ字本に「コロハ」という単語が一度だけ出てくることが分かりました(国字本には出てきません)。結論から先に述べると、この調査は徒労に終わりました。コロハのオラショの文脈ではなかったのです。しかしせっかく調べたので、どんな文脈で出てきたのか共有させてください笑

ローマ字本『コンテムツス・ムンヂ』、ローマ字で日本語が書かれているのでメチャクチャ読みづらいです。kon na kan ji de su. いや、本当はもっとひどいんだけど。でも安心してください。過去の研究者が日本語に置き換えてくれてます。そして国立国会図書館の人がそのデータを公開してくれています。それがこちらです。
出てくるのは55コマ目、第一巻17章「出家の行儀の事」です。

衣とコロワはレリヂヨソの面目にあらず、只行儀を改め、心の悪き癖を全く節するを以て誠の出家とはなるもの也。(姉崎正治編著『切支丹宗教文学』, p.82)

ここでは注釈を見ると次のようにあります。

Coroa(P) 寶冠。

うん。これじゃ分からんよ。
同じ箇所をもう少し新しい時代の翻訳で見てみましょう。

衣を着、頭上を剃ることは益少し。ただ行ひを変え、情欲を断滅することのみ、真の修道僧をつくるなり。(『基督に倣いて』洛陽堂., p.35. 旧字はロバが改めた)

こちらは大正9年の訳なのですが、「コロワ」と記されていたところが「頭上を剃ること」となっています。もう分かりましたね。ザビエルの肖像画で有名なあのユニークな髪型です。トンスラと呼ばれているらしいです。Coroaの元々の意味は「冠」なんですが、それが転じて「修道僧の頭」を意味することがあるらしく、その用法で使われていたんですね。

結論、『コンテムツス・ムンヂ』におけるCoroaの用法は『どちりな』におけるそれとは異なる。なんてこった。


今後の課題

そこでもう一つの候補『おらしよの翻訳』をあたる必要が出てきました。
しかしこちらの文献、まだ手元にございません。
国立国会図書館や、少なくない大学図書館にあるのですが、コロナの影響もあって一般人は気軽に出入りできないのです。悔しい。

こちらの文献『どちりな』とよく似ておりまして、「ころハのおらしよ」という題の項目があることは確認済みです。内容については『どちりな』とほぼほぼ一緒とのことで、期待していいのか、期待しちゃいけないのか、よく分かりません。今公立図書館に、他の図書館から借りてきて欲しいとリクエストしているのですが「少なくとも1ヶ月はかかるし、確約はできない」と言われていて調査が難航しています。

読者の方で、大学生の方がいらっしゃいましたら『おらしよの翻訳』で検索して欲しいです笑 (そして該当ページを送って欲しい……!)

まあそんなこんなでキリが悪いですが、何か進展があればまた記事にしますね。
今回の記事を執筆するにあたって、平凡社から出ている『吉利支丹文学集』を参考にいたしました。2冊で1000円、とても良い買い物でした。神保町っていいよね。

それではまた!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?